「こぐまのケーキ屋さん」作者が送る快活な人生 「自分も予想しなかった自分」がそこにいた

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母親に

「ごはんよー!!」と呼ばれても、

「まだ怪獣が倒せてないからダメなんだ」

と断ったこともあった。

誰も見てないんですけど、見せ場を作りたがる子でしたね。つねに観客を意識していました。

幼稚園では園児を集めて、みんなで影絵の劇団をつくったことがあった。

「ティラノサウルスがサンタになってみんなにプレゼントを配りにいく」

そんな物語を作ろうとした。

しかし、すぐに人を動かす難しさにぶち当たった。

みんな本当に言うこと聞かないんですよ。急に、女の子が

「ウサギちゃんを出したい。お花屋さんをやるの!!」

って言い出したりして。それだと物語が壊れちゃうんで、

「ダメ!!」

って言ったら、幼稚園の先生に、

「仲良くしなさい」

と怒られちゃいました。

そうして、劇がつまらなくなっていくのを目の当たりにして、ガッカリしました。他人はアンコントローラブル(操作不能)だと感じました。

自分の脳内にある“やりたいこと”や“面白さ”を人に伝えることは、とても難しいと思った。

その悩みが解消され「人に面白さを伝えられた」と感じたのは、実に27歳になってからだった。

そのエピソードは、のちほど語るとする。

アメリカの学校で理不尽な暴力を受けた

小学校に進学したカメントツ少年だったが、父親の仕事の都合でアメリカに引っ越すことになった。

渡米したのは小学校2年生のときでした。入学した初日に黒人の同級生にボッコボコにいじめられました。

アメリカの小学校は、日本とは違い私物を持っていくのは自由だった。カメントツさんは、『週刊少年ジャンプ』を持って学校に行った。

その『ジャンプ』の表紙がちょっとエッチなテイストだったんですよ。それで

「日本人がポルノを持ってきてるぞ」

っていじめの対象になってしまいました。

言葉もわからないまま、理不尽な暴力を受けた。

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