勇さんは大手企業で働き、部下を持つ立場だ。社会で必要とされる人材はどういう人で、どういう道を歩んできたのか。そう考えたとき、「やはり大学には行ってほしい。そして自分の考えにはなりますが、大学までエスカレーターできた人よりも、大学受験でもまれてきた人のほうが、底力のある人材が多い気がします」と勇さん。父親のこの肌感覚を基に、志望校の条件は「上に大学のついていない学校」と決めた。
成績と、家庭の方針を基に、塾の先生と志望校を相談。第3希望までを決め、願書を提出した。
短距離走を駆け抜けるような14カ月間の中学受験だったが、祐樹くんは見事に偏差値50台前半の第2志望の学校に合格。入学後はサッカー部に入り、英語の飛び交う、望みどおりの学校生活を謳歌しているという。
伊藤家のケースから感じるのは、帰国子女の場合は帰国後の本人の様子をしっかりと観察し、学校含めて本人にマッチする環境の情報を、いかに素早く手に入れるかがカギとなるということだ。「日本の学校ではやっていけないかもしれない」そんな息子の様子を両親が素早く察知し、情報集めに取り掛かったのが功奏したのだろう。
「本人が泣いても、“勉強しなさい!”と強く言ってお尻をたたける母親だったら、もっと偏差値が高い学校に行けたのかもしれませんが、泣く息子を見て私にはそれはできなかった。今の学校は第1志望ではありませんが、本当に息子をよく見てくれています。ここでよかったと思っています」。
こうした穏やかさが、彼を潰さずに受験を最後までやり遂げさせることにつながったのだろう。
兄の様子を見て受験を決意した弟
伊藤家の中学受験には後日談がある。祐樹くんの受験から3年後の今年、今度は次男の章くんが中学受験をした。
兄の楽しい学校生活の様子を見て、小学校の早い段階から「受験をしたい」と口にしていたという章くん。帰国から数年が経ち、受験で帰国子女枠も使えないため、新5年生クラスの始まる4年生の2月から塾生活を開始。「兄よりもしっかり者で、受験勉強を始めた頃こそ宿題などを細かくチェックしていましたが、後半は目標を決めて自分から進んで学習していたので、“やりなさい!”と私が口出しすることはありませんでした」(恵美さん)。
第一志望の都立一貫校しか眼中にないことが心配だったというが、そんな親の心配をよそに、見事にその第一志望校の合格を手にした。
息子2人の受験を振り返り、母親の恵美さんはこう話す。
「長男の受験のときは、『この1年間、お母さんは君との絆が深まった、ありがとう! 泣いたり、笑ったり、こんなにも一緒に悩んだり、考えたりできたことが幸せだった』と伝えたのですが、次男の受験を終えても同じ気持ちです。受験の結果がよくても悪くても、この言葉をかけるつもりでした」
同じお腹から生まれ、同じ環境で育ち、同じ性別の兄弟といえども、得意・不得意、性格、成熟度、そしてそのときの状況はまったくと言っていいほど同じでない。それは伊藤家に限らず、多くの家庭にも言えることかもしれない。
伊藤家の場合、兄と弟、それぞれの個性や状況を両親が丁寧に把握し、地道に寄り添うことを続けていた。もし兄の祐樹くんの受験が無理のあるものだったら、親の対応が理不尽だったら、次男の章くんが自ら受験をしたいと言い出し、最後までやりきることもなかったかもしれない。「中学受験は親の受験」とも言われるが、伊藤家はその厳しい試練を乗り越え、さらに親子の絆をしっかり深めたように感じた。
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