そんな慌ただしい生活の中、帰国後は「“なんとかなるだろう”くらいにしか考えていませんでした」と話すのは父親の勇さん(仮名)。ところが、いざ日本での生活が始まると、一気に不安が押し寄せてきた。「息子はほぼ、アメリカ人だったのです」と恵美さんは振り返る。
3歳で渡米した息子は、日本で生活するのはほぼ初めての状態だ。学校を嫌がることはなかったが、友達とのやりとりなど、文化の違いに戸惑いがあるように見えた。それだけではない。なんと学校の教科書が読めなかったのだ。「教科書が読めないって致命的ですよね」。長男はこのときすでに5年生、母親は焦りを感じた。
「帰国が決まったときは、中学は地元の公立中に行き、高校受験をすればいいと思っていたんです。でも、これではいい成績は取れず、高校受験に必要な内申点も取れない。かといって、高校受験のときには、すでに帰国生入試の条件から外れるので、一般入試で受けなくてはなりません。息子には不利だと考えました」。
中学受験や高校受験の帰国子女枠の場合は、「帰国後2年以内」など、応募に条件がつく場合がほとんど。小5で帰国した祐樹くんの場合、高校入試ではこの条件に当てはまらない。つまり、帰国生として特別扱いしてもらえるのは中学受験のみとなる。
また、暮らすエリアの状況もあった、と恵美さんは続ける。近所からの情報で、中学受験をする子が多いということがわかったのだ。
「地元では、男子の半分は受験で私立に行くから、近くの公立はできる子はごっそり抜けた状態だという話を聞いて、そこが少し気がかりでした」と父親の勇さんは言う。公立中学ならば、さまざまな学力層の子どもがまんべんなく存在するだろうと想像していたのだが、はたして半分の子が抜けた状態がいいのか。勇さんは、多様な子どもの中で切磋琢磨して学習するという「イメージが湧かなくなったのです」と付け加えた。
周りの環境、本人の様子を鑑みた結果、子どもにベストな環境をと、親子は中学受験を決意した。
個人で情報を集める「限界」
伊藤家が受験対策に本腰を入れ出したのは小5の11月。小3の2月からの塾通いがセオリーとも言われる中学受験の世界では、かなり遅いスタートだ。東京では、帰国子女枠の入試は小6の1月に行う学校が多い。受験まで14カ月。怒涛の日々が始まった。
帰国子女の中学受験を専門に扱う塾に入学すると、受け入れのある学校についての情報は、個人で調べるよりもはるかに早くそろった。そして東京近郊には、帰国子女を受け入れる学校は迷うほど存在した。塾が行う説明会にも積極的に参加、学校研究を進めるうちに、帰国子女枠を有する学校でも、大きく分けて2つのパターンがあることもわかってきた。
1つは、英語は帰国子女だけのクラスで勉強するが、それ以外の科目の授業は一般の生徒と一緒に受ける学校。もう1つは、すべての授業を英語で行うインターナショナルスクールのような学校だ。
しかし、塾から名前を聞く学校は偏差値50以上のところがほとんどだった。帰国子女枠といえども、一般入試と同様に、入試では算数や国語といった科目の力も試される。「英語が話せる」程度では到底合格は難しく、受験対策をせずに挑むのは無謀に近いこともわかった。
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