トランプの「非常事態宣言」は憂慮すべき問題だ 社会の2極化の中、肥大化する大統領権限

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だが、前述のようにNEAは非常事態を宣言する絶対的な決定権を大統領に付与しているうえ、同法には「非常事態」の定義、そしてそれを満たす要件の記載がない。したがって、大統領が非常事態と決定すれば、裁判所はそれを尊重する傾向がある。今回のように明らかに緊急性に欠ける状況であったとしても、裁判所は大統領の判断に任せる可能性が大いにある。

2018年6月、イスラム教徒が国民の多数を占める国々からの人の入国を禁止するトランプ大統領の命令について、安全保障を理由に最高裁は合法との判決を下した。同様に、非常事態宣言についても司法判断は拡大解釈する可能性があって、どちらに転ぶか不透明だ。 

大統領の権力拡大を考え直す機運も

「(トランプ大統領は)原因ではなく、症状だ」。オバマ前大統領は今日の政治環境について2018年9月、このように語った。トランプ大統領の非常事態宣言は、大統領権限が拡大しているアメリカ政治の問題を浮き彫りにしたとも言える。非常事態とは考えられない状況で、大統領が拡大解釈をして同宣言を行うことは、これまでも、特に外交政策の分野では、頻繁にあった。

ハーバード大学法科大学院のジャック・ゴールドスミス教授はその例として、次の2つを挙げる。キューバ空軍機が公海上空で米国の反カストロ派「救出に向かう兄弟たち」の飛行機を撃墜した事件をめぐって、1996年にクリントン大統領の行った非常事態宣言。そして、東アフリカのブルンジの政情不安をめぐる2015年のオバマ大統領の非常事態宣言だ。

前述のブレナン司法研究所によると1976年のNEA制定以降、7人の大統領が非常事態を計59件ほど宣言している(カーター:2件、レーガン:6件、ブッシュ<父>:5件、クリントン:17件、ブッシュ〈子〉:13件、オバマ:12件、トランプ:4件)。うち32件は現在も有効となっている。最も古い非常事態宣言は1979年のジミー・カーター大統領によるイラン人質事件をめぐるイラン制裁だ。だが、現在も有効な非常事態32件の中には、今や非常事態とはいえない案件もある。

以上のように歴代大統領も政治的に非常事態宣言を利用してきたものの、今回のトランプ大統領のように自らの政治基盤を満足させるためにあからさまに利用した前例はない。また、政治環境も最悪のタイミングであった。壁建設費をめぐる意見対立で米国史上最長の政府閉鎖を終えたばかりで、議会が認めなかったのに、非常事態宣言を利用するといったことは物議を醸している。

アメリカ社会の2極化が進む中、議会で法案を可決することはますます難しくなってきている。予備選で大統領候補は右寄りあるいは左寄りの選挙公約を余儀なくされる可能性が高い。政権発足後にそれを忠実に守ろうとするために、議会で真正面から政策の合意形成が難しければ、今後も非常事態宣言で安易に政策実行を試みることは大いにありうる。

つまり共和党にとって明日は我が身となる可能性がある。将来、民主党大統領が政治的理由で銃規制、気候変動、妊娠中絶、医療政策、移民政策などで非常事態を宣言するかもしれない。トランプ大統領はパンドラの箱を開けたかもしれないのである。壁建設は引き続き2020年大統領選の争点となる。今回の非常事態宣言をきっかけに、ニクソン政権後と同様に大統領の権力拡大にメスを入れる機運が高まる可能性もあろう。

渡辺 亮司 米州住友商事会社ワシントン事務所 調査部長

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わたなべ りょうじ / Ryoji Watanabe

慶応義塾大学(総合政策学部)卒業。ハーバード大学ケネディ行政大学院(行政学修士)修了。同大学院卒業時にLucius N. Littauerフェロー賞受賞。松下電器産業(現パナソニック)CIS中近東アフリカ本部、日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部、政治リスク調査会社ユーラシア・グループを経て、2013年より米州住友商事会社。2020年より同社ワシントン事務所調査部長。研究・専門分野はアメリカおよび中南米諸国の政治経済情勢、通商政策など。産業動向も調査。著書に『米国通商政策リスクと対米投資・貿易』(共著、文眞堂)。

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