大切な人の最期を「看取る人」に必要な心掛け 亡くなる約3カ月前から起きる意外な出来事
台湾の「臨床宗教師」のように、死にゆく人の言葉に耳を傾けてくれる第三者がいれば、本人も家族も随分気持ちが楽になるでしょうけれど、残念ながら日本ではまだ環境が整っていません。そのため今は、家族が死にゆく人の言葉を聞くしかありません。
では、死にゆく人に、どのように向き合えばいいのでしょうか? 一言でいえば、「邪魔をしないこと」ではないでしょうか。「死にたい」と言われたら、「ああ、そうか」と思う。こちらの価値観で否定しない、ということです。そして、もしも気持ちに余裕があったら、「どういう風に死にたいの?」と、聞いてみるといいかもしれません。こうしたい、ああしたいと話したあと、「でも、まだいいわ」と言ったりすることもあります。
できることをすべてしても後悔する
大切な人が亡くなると、しばらくは悲しんでいる時間もありません。葬儀や各種手続きなどに忙殺されるからで、それらが済んで一段落した頃に、深い悲しみが襲ってきます。
過ぎたことを思い出し、ああすればよかった、こうすればよかったと、後悔しては涙するのです。「家に帰りたい」と言っていたのに病院で亡くなったとしたら、「どうして帰らせてやらなかったのか」と、断腸の思いがするでしょう。本人の意思にしたがって延命治療をしなかったとしても、延命治療を受けていればもっと生きられたのではないか、と後悔します。
それはもう、仕方のないことなのです。したことはすべて、その時点でよかれと思ってしたことですし、たとえできることをすべてし尽くしたとしても、後悔は残るのです。
ですから私は、「起こったことはすべて、起こるべくして起こったこと」であり、「終わったことはすべて、よかったこと」だと、いつも申し上げます。そう思い、自分を許していいのです。
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