大切な人の最期を「看取る人」に必要な心掛け 亡くなる約3カ月前から起きる意外な出来事

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

家族ですから、喧嘩することがあってもいいと思います。ただ、あまりひどい言い方をすると、亡くなったあとでつらい気持ちになります。「なんであんな風に言ってしまったんだろう」と。

ですから、「食べたくない」と言われたときは、「そうなんだ。じゃあ、今日は下げるね」ぐらいの対応をしておくと、いいのではないでしょうか。「何か食べたいものが出てきたら言ってね」とか、「食べられそうなものがあるなら用意するよ」ぐらいは、言ってもいいと思います。

ところで、「食べたくない」と言われると、同じ部屋でこちらだけ食事をするのは悪い、という気がしないでしょうか? 食べない人の前で、パクパク食べていいのだろうか、と。私も夫に「食べたくない」と言われたとき、子どもたちと別の部屋で食事をしようとしました。ところが夫は、「ここで食べろよ」と言い、子どもたちが旺盛に食べるのを、「気持ちがいいね」とニコニコしながら見ていました。ほかで聞いても、目の前で家族が食べるのを嫌がらない、というよりもむしろ好ましく感じる人が多いようです。

もちろん、抗がん剤の治療中で匂いがダメというような場合は、目の前で食事をするのはよくありません。しかしそうでなければ、この点はあまり気にしなくてもいいようです。「ここで食べていい?」と聞いて、「いいよ」と言われたら、いつも通りの場所で食べる。そうすると、家族の食べる様子を見ているうちに、「何か一口ぐらい食べてみようか」という気持ちになることもあるようです。

「まだ大丈夫」と「もうダメかも」の間で揺れる

医療者から見れば「もう間もなく亡くなる」という状態でも、家族は最後の最後まで「治るのではないか」と思います。ただ、「絶対に治る」と思っているわけではなく、「もうダメかもしれない」「いや、まだ大丈夫だ」と、ダメと大丈夫の間で大きく揺れ動きながら、徐々に希望を削っていると言ったほうがいいでしょう。とてもストレスの強い、つらい日々です。そのため、少しでも希望があると思うと、それに飛びついてしまうことがあります。

よくあるのが、意味のない点滴です。実は病院でも在宅でも、何も打つ手がなくなったとき、医師が「点滴をしよう」と言うことがあるのです。医師に悪気はありません。治すことが使命である医師としては、「なんとかしてほしい」という家族の思いを受けて、「何もできません」とは言えないのです。

次ページ死にゆく人に負担を強いることは酷だ
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事