大切な人の最期を「看取る人」に必要な心掛け 亡くなる約3カ月前から起きる意外な出来事

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大切な人が死にゆくとき、看取る側にも変化があります。写真はイメージ(写真:mits / PIXTA)
死の間際、人の心はどう変化するのでしょうか? 現役看護師の女性僧侶である玉置妙憂氏の著書「死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア」をもとに、死に直面した大切な人の心に起こることについて取り上げます。

大切な人が死にゆくとき、それを看取る人の心にも変化があります。亡くなる3カ月ぐらい前、人生の着地態勢に入る頃になると、周りの人が本人に対してできることが減っていきます。

外に出かけられるうちは、「こんな催しがあるから行ってみたら?」とか、「一緒に買い物に行こう」などと促していたのが、「どこへも行きたくない」と言われれば、無理に行かせることもできません。ご飯を食べられるときは、少しでも食べやすいものをと思い、さまざまに工夫したのが、「食べたくない」と言われれば、無理に食べさせることもできません。

それで家族は、「何もしてあげられない」「何をしたらいいのか」と、手持ち無沙汰で落ち着かない気持ちになります。私たちは、何かすることがあるほうが、大変ではあっても落ち着いていられるのです。そのため、することがなくなると、本人のためというよりも自分たちの不安を鎮めるために、何かしてしまうことがあります。「家では何もできないけれど、病院なら何かしてくれるかも」というように。

何かしてあげたいと思う気持ちは尊いものですが、本人が望まないのであれば、特別何かをしてあげなくてもいいのかもしれません。一緒にいる時間を作って話を聞いたり、手や足をさすってあげたりする。着地間近の人には、そんなさりげない触れ合いのほうが、大きな意味を持つのです。

「食べたくない」と言われて心配になる

「何も食べたくない」と言われると、家族は心配して、「少しでも食べなきゃダメよ」などと言います。生きていくためには食べなければならないと、私たちは本能に刷り込まれているからです。それで、「なんで?」と食べない理由を尋ねたりしますが、尋ねられても本人には答えられません。胃が痛いとか熱があるといった原因があるわけではなく、死に向かう体がもう栄養を欲していないのですが、本人にもそれはわからないからです。

また、食が細くなっている人のために、少しでも目先の変わったものを、できるだけ食べやすいようにと、工夫して作ったのに「要らない」と言われると、カチンとくることもあります。それでつい、「食べなくてもいいわよ!」などと言ってしまうこともあるでしょう。

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