平和慣れ日本人に性暴力被害者の声は届くか ノーベル平和賞ナディア氏が突き付けた現実

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実際に虐殺を受け平和な暮らしを破壊された人たちの実際をまとめて読むと、日本人が日本で暮らす感覚とは程遠い、恐怖すら伝染するような目まいを覚えるのである。

そのようなISISの虐殺を告発し、国連親善大使として中東地域の現実とISの脅威を、身に起きた惨事を怯むことなく公にし、警鐘を鳴らすにいたったナディアさんの勇気に対する称賛だけが本書の意義ではない。

剥き出しの生と死の狭間を表現

そこにあるのは死に直面し、深い絶望に陥った人々の慟哭であり、幸せな結婚を希求した女性のささやかな願いすらも踏みにじる現実の脅威である。そして、逃亡の道中、親切にしてくれた人たちにさえ疑心の目を向けなければならないほど精神的に追い込まれ、身分証を偽造せざるをえず、必死に生きる道筋を探してわずかでも光の当たる方向へ走り続けたナディアさんの悲痛な体験そのものである。

すなわち、この自伝自体が報告書であり、啓蒙の書なのだ。凡百なファンタジー小説では描き出せない、本当に死地を潜り抜けた人にしか語りえない剥き出しの生と死の狭間が容赦なく表現されているのだ。

ひるがえって、欧州の難民問題も、受け入れる欧州の人たちの安定した暮らしが難民によって脅かされる一方、貧しい難民が何百キロという距離を歩いて助けを求め、安全と平和を探してやってきた事実とのコントラストはよく報じられる。

ドイツなど欧州諸国は、いままさに難民との向き合い方を重要かつ緊急の政策課題として突き付けられることになり、生活の安定しない難民の受け入れは治安の壮絶な悪化という問題も引き起こしている。

しかしながら、これらは持てる側の悩みにすぎない。文化の違う難民を大量に受け入れて簡単に融和できようはずもないのだ。イラクやシリア、トルコで幸せな家庭もささやかな希望も打ち砕かれた人々の実体験が語られ、怒涛のような事実とともに語られることは少ないのも、これが欧州、中東が受け入れるべき現実を苦しみながら模索している証左に他ならない。

不自由のない、安全な生活を送っている私たちこそ、その平和が何によってもたらされているのか、どうして殺される恐れなく夜の街を酔って1人で歩けるのか。考えてみれば、おそらく人によってさまざまな気持ちが生まれよう。そういう「持てる側」と「失った側」とを立場を超えて考えることのできる機会、それが本書である。

国際的な政治という抽象的な場や、そういう政治に参画している安全なところで暮らせている人たちの常識、あるいは綺麗事では計り知れないものばかりが、この本には詰まっている。通い慣れた学校で監禁され、家族が連行された先で並ばされて銃殺される。

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