平和慣れ日本人に性暴力被害者の声は届くか ノーベル平和賞ナディア氏が突き付けた現実
重傷を負いながらも幸運にして生き延びた人たちは、痛みに耐えて助けを求め荒野をさまよい歩く。たとえばこんな話が平和の国のメディアで「内戦とはそういうものだ」という一言で片付けられるようであれば、国際社会を語る資格はない。
何の罪も犯さず、慎ましやかに生きてきたヤズィーディー教の人々に不運があったとするならば、単にそこに住んでいた、ということだけである。そういう不運が、現代社会に生きる私たちの身に起きない保証はあるのだろうか。
本書で息づくヤズィーディー教の人たちも、敬虔にしきたりを守って生きている。布教せず、ヤズィーディー教の親に生まれたものだけが教徒となる教義である以上、この宗教の大いなる庇護者はいない。彼女たちを救えるものは国際世論であり、理知的な人々による人権を守りたいという思想と、それに対するコミットする政治だ。
「日本は何をすべきか」が問われている
だからこそ、ナディアさんは生きて国際社会の門戸を叩き、非常に優れた弁護士アマル・クルーニーさんとめぐり合い、その悲惨な体験を武器にしてイラク、シリアのクルド人の現実を語る。
そしてその衝撃的な事実を大きな説得力に換えてISISの虐殺を広め、危険性を知らしめて、国際社会を動かす原動力となる――いままでイスラームに関心を持ちえなかった人も、また、“イスラム国登場の衝撃”を解説する各種書籍に目を通してきた人たちが、より現地で暮らす人たちの息遣いを感じるためにも、本書は優れた補助線として機能することは間違いない。
なぜ、彼らは襲撃されなければならなかったのか、また、ISISが何を目的とし、どのような行動をしてきたのか、はっきりと本書を通じて知ることができるのは、より広く世界を理解し、その世界の中で日本が何をするべきか、どう考えていくべきかを読者に突き付けているとも言える。
感情を抑揚し、静かに事実を語る書き口が、次々と紡ぎ出す新しい事態。非力な女性が翻弄され、繰り返し訪れる危機と苦難に見舞われて幾度となく絶望する状況は、必ずしも読者にとって救いをもたらさない。はたして、これだけの苦難を乗り越えてきた彼女にとって、このノーベル平和賞受賞はせめてものハッピーエンドへ向かう道のりにあるのだろうか。
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