ビジネスに応用できる「歴史のif」思考の本質 「ありえた未来」を描く歴史改変小説のヒント

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「起こりえたこと」を明らかにするためには、私たちが知っている「結果」にとらわれることなく、歴史において重要な決定が行われた瞬間に目を向け、どのような選択肢が存在し、そのなかでどのような決断がなされた(なされなかった)のかを冷静に分析する必要がある。

「歴史のif」に着目することは、当時の人々が想像した「未来」(=imagined futures)に私たちの関心を導くという点で重要なのだ。「歴史のif」によって、当時の人々が思い描いていた未来像を仔細に検討し、その思考のひだへと入り込み、史実とは異なる展開の可能性を探ることが可能となる。

「歴史のif」というと、「もしもあの時○○であったら、○○という結果が生じていただろう」という形式を思い浮かべるかもしれないが、同時代の人々の「もしも……」や「ひょっとしたら……」という思考に光を当てるアプローチもありうるのだ。こうした思考方法は、企業社会で数多くある意思決定の場でも使える考え方と言えるであろう。

私たちは、未知なる出来事と対峙する際、期待や不安を抱きながら、これから起こりうるさまざまな事象を想像する。私たちが描き出した「未来」像は、現実のものとなって歴史に刻まれる場合もあるが、そうならない場合も少なくない。それらはなぜ現実化せず、歴史のなかに埋もれてしまったのか。こうした問いは、「ありえたかもしれない未来」を抽出する作業によって、はじめて分析可能となる。

未来小説が持つビジネス思考の可能性

私は、その時代が持つ未来への想像力を捉えるうえで、未来小説(未来書)が持つ可能性にも注目してみたい。たとえば、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの『1984年』(1949年)は、全体主義体制の到来を避けるために書かれた「警告文学」である。

『「もしもあの時」の社会学』(筑摩書房)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

主人公が暮らすイギリスでは、「ビッグ・ブラザー」が支配者となり、「テレ・スクリーン」を用いた徹底した監視体制を敷いている。そこでは、「ニュー・スピーク」という架空の言語が話され、相反する2つの意見を、それが矛盾することを知りながら、いずれも受け入れる「二重思考」が、支配層から一般住民まで浸透している。

オーウェルは、この小説を発表した1949年の時点で「もうひとつの歴史」を想定していたわけではない。しかし、21世紀に生きる私たちにとって、「ビッグ・ブラザー」が支配するディストピアは「そうはならなかった未来」の1つである。

「もうひとつの歴史(alternate history)」は、当時の人たちが実際に考えた「ありえたかもしれない未来(alternate future)」に依拠して考えることができる。そうした関連性を気づかせてくれるところに「歴史のif」の価値がある。

未来小説(未来書)は、ビジネスの世界では、企画書に置き換えて考えることができる。企画書のなかのどの発想が、プロジェクトを結果として成功(あるいは失敗)に導いたのか。実現しなかった幻の企画書が存在するとしたら、「起こりえたこと」と「起こりえなかったこと」はどう区分することができるのか。

このように「歴史のif」思考は、ビジネス界においても問題解決のヒントを与えてくれるユニークなツールとなるのだ。

赤上 裕幸 防衛大学校人文社会科学群公共政策学科准教授

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あかがみ ひろゆき / Hiroyuki Akagami

1982年生まれ。京都大学大学院教育学研究科教育科学専攻博士後期課程修了。博士(教育学)。メディア史、社会学を専攻。著書に『ポスト活字の考古学――「活映」のメディア史1911-1958』(柏書房)、『歴史のゆらぎと再編(岩波講座 現代 第5巻)』(共著、岩波書店)、『近代日本のメディア議員――〈政治のメディア化〉の歴史社会学』(共著、創元社)などがある。

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