ビジネスに応用できる「歴史のif」思考の本質 「ありえた未来」を描く歴史改変小説のヒント

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私は、「歴史のif」思考が単なる「フェイク」では片づけられない豊饒な可能性を持つと考えている。SF作家・小松左京が歴史改変小説『地には平和を』(1963年)で描いたように、日本は、玉音放送を実施できずに、1945年8月15日以降も戦争を続けていた可能性があった。その場合、本土決戦を経て、ドイツや朝鮮半島と同じような運命をたどる「もうひとつの戦後史」が現実味を帯びてくる。一方、フェイクニュースは複数の選択肢があることの可能性を最初から閉ざす考え方だといえる。

歴史上には、歯車がほんの少しずれていたら、まったく別のコースをたどったであろう運命の分岐点がたしかに存在する。それらを明らかにするうえで、「歴史のif」は重要な役割を果たすのだ。

1990年代には、「歴史のif」をモチーフとした架空戦記が一大ブームとなり、ビジネス書としても親しまれていた。架空戦記のなかで示されるシミュレーションの思考が、組織の運営・戦略あるいはリスク管理などを考える際に有用だったからだ。

私は、「歴史のif」思考が、21世紀のメディア環境を考える時にも役立つと考えている。これまでは、芥川龍之介の小説『藪の中』(1922年)や黒澤明の映画『羅生門』(1950年)などが、多角的な視点について考えるヒントを与えてくれた。これらの作品では、事件の目撃者がそれぞれ異なる証言を行い、世の中には複数の「真実」が存在しうることを教えてくれた。

「起こりえたこと」という第三の選択肢

では、現在はどうだろうか。たとえば、ハロウィン当日の渋谷駅周辺の様子は、そこに居合わせた人たちの手によって、複数の画像がネット上にアップされている。カメラ技術の発達やスマートフォンの普及によって、私たちは、同じ場面をさまざまな角度から見比べることもできる。ただし、画像を撮る位置や角度、編集や加工の有無によって、同じ出来事の持つ意味は大きく変わってしまう。

このように複数の「真実」がネット上で拡散する現代社会において、「唯一の真実」と「フェイクニュース(=ポスト真実)」という二項対立の図式では、問題に対処しきれない。そこで提案したいのが、「歴史のif」思考を用いて、「起こったこと」と「起こらなかったこと」の間に、「起こりえたこと」という第三の選択肢を加える方法だ。

私たちは、スマートフォンの情報に頼り、どの情報が真実なのかを立ち止まって考えようとしない。こうした時代だからこそ、それが本当に「起こりえたこと」なのか、それとも「起こりえなかったこと」なのかを考えることによって、より客観的な情報(多くの人が真実だと認める情報)は何かを探る思考のレッスンが必要なのだ。

「起こりえたこと」を明らかにするときに重要なのは、視点をどこに置くのかという問題だ。

たとえば、第一次世界大戦でイギリスが中立を維持していたら、実際とは異なる結果が生まれていたと言われている。こう断言できるのは、私たちが、大戦の帰結(約4年にも及ぶ大殺戮)を知っているからだ。歴史の必然性が強調される場合もあるが、それは後から振り返った回顧的な見方だ。

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