「榮太樓」が創業200年でも常に斬新なワケ 味を守りながら、新しいことに挑戦している

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東横のれん街(1951年)をはじめとして、百貨店への出店を加速、1989年の年間売上高は約100億円に達し、全国に約80店舗を展開するまで拡大した。しかし、以降は百貨店の不振によって販売数が減少し始め、工場の稼働率も低下。

量販店向けの飴でこちらも有平糖。あっさりとした自然な甘さ(写真:榮太樓總本鋪提供)

商品が売れる場所を確保すべく、社内でスーパー・コンビニなどの量販店市場への進出が議論された。

細田社長は「最も大事にしてきた商品の1つである飴を量販店市場に出せば、これまで直接納品していた仕組みから、間に商社が入ることになり、直接目の届かないルートになる」と苦渋の決断だったことを明かす。

1994年、量販店市場に進出。全国のスーパー、コンビニなどでより広く販売され、最も売り上げに寄与する部門に成長した。

庶民に寄り添い庶民に愛される菓子を提供してきた榮太樓は新たにスーパーやコンビニという販路を得たことで、平成の時代の流通形態にも対応、より多くの人に親しまれることとなった。

実験的に作った商品がヒット作に

ここでまた転機が訪れる。伊勢丹新宿店の改装に伴って、今までにない新しいものを提案してほしい、と伊勢丹側から依頼があり、2007年に女性をターゲットにした「あめやえいたろう」というブランドを立ち上げた。当初、新ブランドで扱う看板商品としてあずきや豆を使ったものを提案するもことごとく却下された。「榮太樓だからできること」として看板となる飴を加工できないか、と要請され考案したのが板あめの「羽一衣(はねひとえ)」だ。

羽一衣。有平糖を一枚一枚、板状にした飴(写真:榮太樓總本鋪提供)

細田社長が工場勤務の際に、仲間とともに実験的に作ってみたものだ。「正直なところ量産などまったく念頭に置いていないいたずら心で作ってみた商品だった(笑)」。

だが、「これはいい!」と伊勢丹側が気に入りメインの製品になってしまった、という。

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