移民という「自死を選んだ」欧州から学ぶこと 「リベラリズムによる全体主義」がやってくる

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いずれにしても、すでに移民国家への道を歩み始めてしまった以上、今後、日本においても、本書に描かれているような問題が顕在化するであろう。その時、おそらく、この問題を巡る論争は決着のつかない不毛な対立となり、議論はまったく深まることなく、ただいたずらに社会が分断されていくであろう。

移民受け入れはどのように正当化されていくのか

具体的には、こうである。

一方には、移民の流入により賃金の低下や失業を余儀なくされたり、移民の多い貧しい地域に居住せざるをえないために治安の悪化やアイデンティティーの危機にさらされたりする中低所得者層がいる。

他方には、移民という低賃金労働力の恩恵を享受しながら、自らは移民の少ない豊かで安全な地域に居住し、グローバルに活動する富裕者層や、多文化主義を理想とする知識人がいる。彼らエリート層は、移民国家化は避けられない時代の流れであると説き、それを受け入れられない人々を軽蔑する。そして、移民の受け入れに批判的な政治家や知識人に対しては、「極右」「人種差別主義者」「排外主義者」といった烙印を押して公の場から追放する。

その結果、政治や言論の場において、移民の受け入れによって苦しむ国民の声は一切代弁されず、中低所得者層の困窮は放置されたままとなる。

これは、単なる悲観的なディストピアの未来像ではない。マレーが詳細に報告するように、すでに欧州で実際に起きていることなのである。

イギリスの世論調査によれば、イギリス国民の過半数が移民の受け入れに否定的である。しかし、公の場においては、一般国民の声は一切反映されず、移民の受け入れを当然視し、歓迎しさえする言説であふれている。移民の受け入れは既定路線として粛々と進んでいく。

欧州において、移民の受け入れは、次のような論理によって正当化された(第3章)。

「移民は経済成長に必要だ」
「高齢化社会では移民を受け入れるしかない」
「移民は文化を多様で豊かなものとする」
「どっちにしても、グローバル化の時代では、移民の流入は止められないのだ」

これらの主張はいずれも、日本の移民推進論者たちにも踏襲されている。もっとも、マレーが鮮やかに論証するように、どの主張も論拠を欠いている。ところが欧州のエリートたちは、この主張のうちの1つが破綻すると、別の主張で置き換えつつ、移民の受け入れの正当化を続けてきたのである。

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