移民という「自死を選んだ」欧州から学ぶこと 「リベラリズムによる全体主義」がやってくる

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もっとも、この移民の受け入れによる文化的な自死という戦慄すべき事態は、対岸の火事などではない。これは、日本の問題でもある。

「保守」のねじれが招いた日本の「自死」

日本は、移民に対しては閉ざされた国であると考えられてきた。しかし、経済協力開発機構(OECD)加盟35カ国の外国人移住者統計(2015年)によれば、日本は2015年に約39万人の移民を受け入れており、すでに世界第4位の地位を得ているのである。

さらに、2018年6月、日本政府は、2019年4月から一定の業種で外国人の単純労働者を受け入れることを決定した。その受け入れ人数は、2025年までに50万人超を想定しているという。そして、11月2日には、新たな在留資格を創設する出入国管理法改正案が閣議決定され、12月7日、参議院本会議で可決・成立した。

ついに日本政府は、本格的な移民の受け入れへと、大きく舵を切ったのである。しかも、国民的な議論がほとんどなされぬままに、である。

皮肉なことに、本書が日本で刊行されるのは、本格的な移民受け入れのための出入国管理法の改正案が臨時国会で成立した直後、すなわち、日本の指導者たちが欧州の後を追って自死を決意した直後ということになる。

はなはだ遺憾ではあるが、われわれ日本人は、本書を「日本の自死」として読み換えなければならなくなったのである。

本書が日本人にとって必読である理由がもう1つある。それは、移民やアイデンティティという政治的に極めてセンシティブな問題を考えるにあたり、本書の著者マレーに匹敵するような優れた書き手が、残念ながら日本にはいないということである。

マレーは、保守系雑誌『スペクテイター』のアソシエート・エディターを務めていることからもわかるように、保守派のジャーナリストである。しかし、彼の筆致は、日本におけるいわゆる「保守系」の論壇誌に登場する論者たちとは、まったくもって比較にならない。

最近も、『新潮45』という雑誌にLGBTに関する下品な駄文を発表し、同誌を休刊に追い込んだ自称「保守」の評論家がいた。ろう劣な偏見への固執を「保守」と勘違いし、しかもそれを臆面もなくさらけ出したために、ひんしゅくを買ったのである。

昨今の日本では、この評論家と同様に「保守」を自称する連中が書籍やSNSを通じて、ヘイトスピーチまがいの言説を垂れ流すようになっている。

さらにややこしいことに、保守系の論者たちがこぞって支持する安倍晋三政権こそが、本格的な移民の受け入れを決定し、日本人のアイデンティティーを脅かしているのである。これに対して、彼らは何の批判もしようとしない。こうなっては、日本において「保守」と呼ばれる論者に何を期待しても無駄である。

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