もちろん、物だけが移動するはずもなく、人が運んでいる。集落から産地に赴き、入手することもあれば、現在のように仲介人のような存在が運んでいたことも考えられる。つまり、集落以外の人間がやってくる機会がそれなりにあったということ。これは、年頃の娘がいる集落にとっては絶好のチャンスである。
物も欲しいが、婿はもっと欲しい。
集落のオサをはじめ、総出で旅人をもてなし、少しでも長く滞在させたことだろう。居着くこともあれば、娘と恋仲になって子どもだけをつくり、外に出ていってしまうこともあったはずだ。
縄文人の初産は18~19歳くらい
とはいえ、男性には申し訳ないが、集落としては子種さえあれば良かったのではないか。その観点から見ると、縄文時代に作られた男性器を模した「石棒」という遺物も納得がいく。女性や妊婦を表現した土偶に対して、男性は男性器だけを表現した石棒で、全体を表現されることがない。なんとも露骨な話である。
ほかに、いくつかの集落が、拠点集落と言われる大きな集落に集まり、一堂で祭りを行うことがあった。今でもそうだが、一種独特な高揚感も手伝って、祭りの場は恋が芽生えやすい。祭りの際には、皆ハレの衣装で着飾って祈りの儀式を行い、若者たちはその後、森に消える……。
一年に数度行われる大きな祭りも、縄文人たちにとっては大切な出会いの場だったのだ。
そうして外から新たな血を入れて集落は維持され、時に大きくなった。
古人骨の研究者によれば、現在の狩猟採集民の民族事例から考えて、縄文人の初産は18歳から19歳ではないかという。
意外に遅い。
今よりも栄養状態が悪かったことを考えれば、初潮は14歳から15歳ぐらいだったはずで、だとすれば、この初産はごもっともである。それに、初潮が来たところで、前述のようにうまく男女が恋仲にならなければ、身ごもるチャンスはない。
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