日本人が知らない「縄文人」の意外な恋愛事情 縄文人たちも恋をしていたのか?

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では、一生のうち、何人ほど産んでいたのか。

これも民族事例から考えて4人から6人ほどだったのではないかという。もちろん、栄養状態が良くなり、人口がいちばん増えた縄文時代中期はこの限りではないだろう。平均して、このぐらいだったのではないか、ということである。

平均寿命は40歳前後と考えられるから、人によってはずっと妊娠、子育てしていることになる。そんな子だくさん、お母さんが疲弊しきっちゃうじゃない!と思うが、一時期テレビでよく目にした大家族の暮らしを思い出してほしい。上の子が下の子の面倒を見て、母の代わりをしていた姿を。

「子どもは集落の子ども」だったのではないか

縄文時代も言うに及ばず、上の子だけでなく、集落全体が社会の子どもとして面倒を見ていただろう。同じ時期に子どもを産んだお母さんがいれば、時には母乳だって融通していたはずだ。父親は狩猟の時にイノシシにやられることだってあるし、黒曜石を求めて集落代表として旅に出てしまうかもしれない。そうなると父親には頼れないから、集落全体で子どもを育てていくしかない。誰の子でも、集落にとっては大切な子どもなのだ。

そもそも縄文時代は女性によって支えられた時代だと私は考えている。祖母から母、そして子へと生活の知恵が伝えられていく。女性たちは皆で子育てをし、森の恵みを採集し、料理を作る。季節によって土器を作り(男性が作る場合もあったと思う)植物の繊維から糸をよっては、布を編む。カゴ作りは男女共にしただろうが、暮らしの大部分を彼女たちが支えていたはずだ。

今は核家族化が進み、子育ても自助努力と言われるが、限度がある。子どもを育てていく社会的現状は依然として厳しく、仕事と子育ての両立をしている女性たちの奮闘ぶりを見ると、頭が下がる思いだ。もちろん、男性も子育てに参加している人が多いとはいえ、やはり女性の負担が大きいのは否めない。

縄文時代のような、子どもは集落皆の子ども、という考え方を現代に落とし込んだ仕組みはできないものか。当時、壮年の男女は働くことに忙しく、子どもの面倒を見るのは集落の年長者だったとする研究者が多い。

昭和30年、40年代までの日本はそうだったし、地方では、まだその流れがある。まったく同様にとは言わないが、都市部も横とゆるくつながり、お互いさまで連携が取れる社会の仕組みが今まで以上に求められている。

縄文時代のリアル子育てを見てきたわけではないけれど、そこに何かヒントがある気がしている。

譽田 亜紀子 文筆家

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こんだ あきこ / Akiko Konda

岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、そして縄文時代の研究を重ねている。現在は、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。著書に『はじめての土偶』(2014年)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、ともに世界文化社)、『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と溪谷社)、『土偶のリアル』(2017年、山川出版社)、『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)、『土偶界へようこそ』(2017年、山川出版社)。近著に『縄文のヒミツ』(2018年、小学館)、『折る土偶ちゃん』(2018年、朝日出版社)がある。

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