中学受験の世界では1月~2月2日までなど初期の日程で合格校を押さえ、安心感を得てから、チャレンジ校である第一志望の受験に乗りこむというのが黄金ルールとされる。ところが伸也君は、受験日程の序盤で“押さえ”のはずの学校に不合格となってしまったのだ。
そのショックを引きずるように、そのほかの学校でも不合格が続き、気づけば、予定していた学校にすべて落ちるという最悪の結果となっていた。
最後の結果を聞いたのは、2月4日の21時過ぎ。5日にチャレンジ校の広尾学園最後の入試を残していたが、もはや、記念受験にしかならないとあきらめた。
泣きじゃくる本人を横に、塾の先生に状況を報告すると「成功体験をさせてあげましょう」と勧められた。まだネットで受験を受け付けている学校を教えてもらい、23時41分、ネットで願書を提出。翌朝、息子と一緒に受験会場に向かった。
ミスチルの「ギフト」に涙
2月5日に受験したのは、ある男子校。受験当日「わかっていたのは学校の名前くらいでした」と順子さん。とにかく、合格体験をという一心で学校に向かうと、そこには「よく来てくれたなー!」と手を広げて一人ひとりにあいさつをする男性が待っていた。
同校の校長だった。「息子も私もこれだけで涙が出ました」。その後、息子は試験会場へ。保護者の控室では、まさかの学校説明会が始まった。出願校に「全落ち」して初めてこの学校を知って来る親子も多いという、学校側の配慮だった。
学校紹介の映像とともに流れてきたのは、Mr.Childrenの「GIFT」だった。
会場の至るところですすり泣きが聞こえた。
試験の結果は合格。入学説明会での説明と、温かく迎えてくれた学校に感激し、入学を決意した。
「塾で勧められるのは、ほとんどが偏差値50以上の学校でした」。順子さんは、選択肢を狭めた中から学校を選んでいたことを反省した。「偏差値的には名前が挙がらないけど、いい学校はいっぱいある。この受験でそのことを知りました」(順子さん)。
当初予定していた学校には受からなかった中村家だが、親子とも、受験にチャレンジしたことに後悔はない。
「いま、息子は“受験部”という部活に入っていたのだと思えます。部活なら、一生懸命に頑張って、都大会出場ができなかったとしても、“よく頑張った”と頑張りを素直に褒めてあげると思う。受験も一緒で、全力で勉強に向き合った3年間です。望む結果は残せなかったけれど、あの頑張りは無駄ではないとたたえてあげたい。何より今の息子の楽しそうな様子を見て、つらかったけれど、やってみてよかったと思っているんです」
この母子の事例からわかるように、中学受験は多くの家庭にとって決して甘いものではないだろう。それがわかっていて、なお挑んだ親子のひとつの着地点として、またそれまでの軌跡に、学ぶことは多いのではないだろうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら