中学受験で"全落ち"した母子の「最終出口」 受験最終日、ミスチルの「ギフト」で号泣した

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当時、順子さんと伸也くんは、埼玉県で二人暮らし。順子さんは少し前に離婚し、シングルマザーになっていた。生活のため、会社員としてフルタイムで働いており、帰宅はいつも18時過ぎ。息子が3年生になる頃には出張も多くなり、帰宅が夜10時近くになる日も出てきた。順子さんの母親はすでに他界しており、父親はまだ現役。伸也くんを頼める人はいなかった。

「息子が3年生になる頃から仕事の責任が増え、帰りが遅くなることや出張も出てきたので、学童の代わりにと思って入れたのが、近くのA塾でした。塾代は2教科で5000円と良心的。塾の説明を聞くと、授業のない曜日も自習室が使え、しかも学校の宿題も見てくれる。いいことずくめに見えました」

夜遅くまで働く順子さんにとって、夜9時までいられる自習室は、まだ幼いわが子を家にたった一人で置いておくよりも安全に感じたのだ。

偏差値が20も下降する大波乱

ふれ込みのとおり、授業のない日も自習室が使えた。そのうえ、夏休みには作文の宿題までも見てくれるという手厚さ。伸也君は毎日のようにそこで過ごすようになり、塾はもはや、伸也くんにとっての「第二の家」のような場所となっていた。

そんな折、子どもに配られたのが塾からのアンケート。「塾は楽しいですか?」「勉強でわからないところはないですか?」など、塾への満足度や勉強についての質問に続き、最後に出てきたのが「中学受験をしたいと思いますか?」という質問。伸也くんの回答は「はい」に〇がついていた。

確認すると、「先生が受験してみたら?と言うから、じゃあ、やってみようかなと思って」と息子。

面談では「息子さんの成績ならば上位校も狙えます。頑張りましょう」といった言葉をかけられた。その後、「今受験を決断したら、優先的に受験コースに入れますよ」とダメ押しの一言。受験コースには枠があり、みんなが入れるわけではない感を漂わせながら、うまく保護者を誘導する。順子さんの心も動いた。

受験コースに変わると、生活は一変した。通いなれた校舎には中学受験コースはなく、他校舎へ電車で通うことになったのだ。塾代も一気に万単位で上がった。距離、金額とも、学童の代わりではもはやない。それでも本人の意思だと、順子さんは最大限かなえようとした。

ところが塾生活は、そう生易しいものではなった。通いはじめて数カ月、初めは順調だった成績も4年生になると急降下。好調時と比べると偏差値は15~20ポイントも下がってしまった。

電車で通う校舎の受験クラスは、「第二の家」とまで呼んだ元の校舎とは雰囲気も大きく違った。成績によるクラス替えもあり、生徒同士はライバル関係。新校舎は“戦場”だった。

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