成績が下がり続ける伸也君の心にも変化が表れた。“劣等感”が住みつきだしたのだ。母親がどんなに「大丈夫、次の試験はきっとできるよ」と声をかけても「僕はできないんだ」と言うばかり。しぶとい劣等感に苦しむ一方、受験コース入塾時に目標としていた、早稲田大学の附属校には、到底手の届かぬ成績に陥っていた。
この成績と精神状態で、本当に受験自体チャレンジすべきなのか――。
不安に思う順子さんに対し、塾側は頻繁に電話を入れてきた。「大丈夫です。本人は今頑張っていますから、ここであきらめたらもったいないです。私たちに任せてください!」。しかし、もう限界だと思った順子さん。伸也君が6年生となる春、驚きの決断を下す。
転校と転塾で受験をリセット
それは埼玉から東京への引っ越し。そして順子さんが会社員を辞め、フリーランスになることだった。引っ越しと転職という、母子ともにとって大きな変化というリスクを取りながらの、大胆な「リセット」である。
順子さんには、数年かけて降り積もった息子の劣等感を払拭したいという強い願いがあった。そのためにも、もう少し息子にかかわれる暮らしに練りなおしたいと思ったのだ。
埼玉に住む前、離婚するまでは東北地方で暮らしていた順子さんと伸也君。順子さんの仕事は年々多忙になり、息子と顔を合わてゆっくり話せるのは毎日ほんの数分。でも、会社員を辞めてフリーになり、すでに人脈となっているクライアントがたくさんいる東京に引っ越せば、母子の時間を増やすことができる。そして東京に引っ越せば、出口が見つからなかった埼玉での受験生活に一区切りつけるきっかけにもなるかもしれない――。
当然、母親が暴走するのではいけない。順子さんは、リスタートするにあたり、伸也君の意思をしつこく確認した。
「こんなに成績も落ちたし、無理に受験しなくてもいいんじゃない? 受験、やめたら?」
しかし伸也君には、受験をあきらめる気持ちはなかった。
「どうして僕が頑張ろうとしているのに、お母さんはチャンスを奪うの! 僕にもう一度チャンスをちょうだい」
息子の想像以上に固い意思を確認し、こうして母子の東京での新生活はスタートした。
劣等感の固まりと化してしまった息子。多くの子どもたちが1点を争って競い合う集団塾に入ったのでは、埼玉のときと同じように、気持ちの面で潰れるかもしれない。
まずは、劣等感を払拭することが先決と考えた順子さんが選んだのは、一人ひとりに合った指導をしてくれる個別指導塾だった。順子さんは引っ越し直後、新しい自宅の近くにあった名の知られたB塾の門をたたく。
「息子の状態を見た先生からは“もっと早くに転塾を考えるべきでしたよ”と、言われてしまいました。渦中のときは気がつかないものですね。セカンドオピニオン的にほかの塾の先生に見てもらうのは、必要なことかもしれません」
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