「ナンシー関」と雑誌の「雑」について考える 小田嶋隆氏×武田砂鉄氏が語る
武田:ドローン視点である限り、地上で起きている争いごとには直接的には関わらないで済む。どんなことでも、争うのってしんどいです。その最中に間違いだって起こします。でも、ドローンは安全なんです。
小田嶋:最近の流行りだけれど、こういう問題が起きたとき、必ず出てくるのが「党派性」という言葉。争うのもいい、議論するのも構わないし、差別があればそれを糾弾するのも当然だけれど、でも党派性にとらわれちゃいけない、というまとめが最後につく。
バトルが行われているところに行って、両方の意見を聞きました、でも、私の目から見ればどっちも……みたいなことにされてしまうと、本当は100対1でこっちのほうが間違っているよという話であっても、両論併記の中では五分五分に見えてしまう。そんな論のつくり方の風潮があるんですよね。
武田:小川氏が、「小川榮太郎『新潮45』への疑問に答える(1)」という50分ほどの動画をアップしています。50分間も説明が必要な6ページのテキストって、その時点で、自分の文章に難があったと表明しているように思えるのですが……(※その後、90分ほどの「小川榮太郎『新潮45』への疑問に答える(2)」もアップ)。
で、その動画で彼が話していたのは、LGBTの問題に政治が時間を割く必要はない、近隣諸国を見てくれよ、と。中国やロシア、北朝鮮情勢はどうなっている? LGBTの「生きづらさ」なんてものに耳を傾けるのではなく、取り組むべき問題の優先順位を考えようではないか、と続ける。今回の論点とはまったく関係のない国際情勢を持ち出す。でもこれが、ある一定のコミュニティーのなかでは有効なんですよね。
「そっちこそどうなんだ主義」で論点をずらすのは…
小田嶋:すごく説得されるみたいですね。「Whataboutism」っていうらしいけど、日本語に訳すと、「そっちこそどうなんだ主義」。それを言うなら、こっちはどうなんだ、って。
もともとは、共産圏の人間が、自由主義諸国から自分たちの人権問題を突っ込まれたときに、「我々の人権問題よりも、お前らがキューバに対してやっているあれはどうなんだ」ってやり返すことで、とりあえず問題を相対化するために喧伝された方法だったのだそうで、もともとはクレムリンが……。
武田:安倍首相の答弁も、おおよそ、この方法によって構築されていますね。
小田嶋:安倍さんは、ものの見事にクレムリンです(笑)。
武田:2016年のことですが、高まる子供の貧困率について野党が尋ねると、首相は真っ先に「民主党政権時代の数値であって、安倍政権ができてからは調査されていない」と言う。どう改善していくつもりか、その議論を進めようとしているのに。
小田嶋:この間の、ゴルフのあれ(9月17日、TBS「NEWS23」番組内での「ゴルフがダメでですね、テニスはいいのか、将棋はいいのか、ということなんだろうと思いますよ?」という発言)だって。