「ナンシー関」と雑誌の「雑」について考える 小田嶋隆氏×武田砂鉄氏が語る
小田嶋:書き手の側も、それぞれに持ち場を与えられて、読者も、連載コラムの執筆陣の名前を見て雑誌を買ったり、やめたりしていたという時代。書き手にとっても、雑誌にとっても、幸福な時代でしたね。
武田:自分がナンシーさんのコラムに最初に出合ったのは中学生の頃。中学生の時、自転車通学だったんですが、途中にコンビニが2軒あったんです。スリーエフとデイリーヤマザキ。その2軒に寄って、雑誌を片っ端から立ち読みするのが習慣になっていた。
小田嶋:買わない?
武田:買わない、というか、高校生でお金もないから買えません。火曜日には週刊朝日、木曜日には週刊文春を開き、テレビで見かけるアイツやコイツについて、ナンシーさんがどう書くのだろうとチェックしていました。
監視機構がなくなったら、みんな自由になっちゃった
小田嶋:ナンシー関という人は、個人であるよりも、半ば公的なというのかパブリックな芸能批評機関みたいな存在だったと思うんですね。たとえば、「ナンシー的にダウンタウンってどうなのよ」とか、「最近出てきているアイツについて、ナンシーはなんて言ってるの?」とかを確認しに行く場所というか、一応、押さえとかなければいけない批評機関のようになっていた。
半端芸能人なんかは、ナンシーさんに見つかったらマズイから、ナンシーさんの目をちょこっとは意識しながら発言したりしていた。でも、ナンシーさんがいなくなって、監視機構がなくなってからは、みんな、自由になっちゃったでしょう。
武田:ナンシーさんが繰り返し言及していた芸能人に、小倉智昭や中山秀征がいます。あれ、この人、与えられているポジションが実力以上に大きくないですか、という違和感を書き連ねていた。ナンシーさんが亡くなってから15年以上が経ち、テレビの世界を見ると、ナンシーさんが定期的にパトロールしていた人たちが、健やかに生き永らえている。
小田嶋:さすが、ナンシーさんはそういうところまで見てたのかと思うけど、小倉智昭が、自分と相手の関係性をそこはかとなく匂わせることによって、自分を少しずつフレームアップしていくそのやり口。それを指摘されるのは、小倉にとって、すごく痛かっただろうと思うけれど、小倉のあのやり方っていうのは、いまだになんだかんだで通用しちゃってるのね。
(記事後編はこちら)
*2018年9月22日、吉祥寺・ブックスルーエ主催トークイベントより
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