「ナンシー関」と雑誌の「雑」について考える 小田嶋隆氏×武田砂鉄氏が語る

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小田嶋:昨日(9月21日)のAbemaTVで、小川榮太郎が出ているのを確認したんですけど、あんなふうに100%やりこめられている状態の人間の動画を初めて見ました。鈴木賢さんという、明治大学の教授でLGBTのゲイの当事者の方が、「どういう実害がありますか?」と、外堀からひとつひとつきちんと埋めていった。それに対して、小川さんは何ひとつ有効な反論もできず、論点をずらすことしか……いや、論点をずらすことさえできてなかったですね。

もし私があの立場だったら、もう一も二もなく「ごめんなさい」って謝っちゃう。あそこで謝らずに、見苦しく論点をずらそうとしているのを、周りから半笑いで眺められていて平気というのは、本当にすごい神経だなと。

コラムニストの小田嶋隆さん(左)とライターの武田砂鉄さん(右)(『ナンシー関の耳大全77』刊行記念トークイベントにて)(写真:AERA dot.)

武田:そういう方に、どうやって言葉を返せばいいのか難しいですね。こちらが正しく主張するのは簡単なので。小川氏のみならず、あの手の乱暴な言質を撒く人たちは、自分たちに批判が向かうと「じゃあ、俺たちの意見は言っちゃいけないのか?」「表現の自由はどうなっているんだ?」などと言い出しますよね。

小田嶋:一連の話がTwitter論壇でどう扱われているだろうかと見ていて思ったのは、あれはどこからどう見ても、小川某がいろんな人にやりこめられていて、完敗なわけです。だけど、それを相対化する人たちが当然現れる。

たとえば、佐々木俊尚という人のツイートでは、「強烈にひどい扇情的な記事が書かれ、その『わかりやすいひどさ』に飛びついた人たちが強烈に反応し、それらの応酬があまりにも激しすぎてついていけない。もともとのマイノリティーの問題や表現の自由の問題についてのまっとうな議論が置き去りにされていくように感じてます」と書かれている。「マイノリティーの問題や表現の自由の問題」とあるけど、そんな問題があったとは、私は全然思ってません。差別的な言辞を弄(ろう)した人間が、「それ、違うんじゃない?」って言われているだけでしょう。

新潮社の書籍を扱わない書店が出たとき

武田:そうですね。今件をふまえて、新潮社の書籍を扱わないと宣言した書店が出てきた。その書店を指差して、言論弾圧だなんて言う。しかし実際、どの書店であろうとも、そこに置かれている本は、書店員が選別しているわけです。並べる、並べないは書店の判断です。どの書店も思想的な場所です。彼らが騒ぎ出すと、それくらいの基本的な事項まであやふやになる。

小田嶋:書棚というのは、その書店の顔でもあるわけだから、「自分のところの書棚にこういうものは入れません」というのは、しごく当たり前のことで。

武田:さっきのツイートがそうですけど、鳥瞰(ちょうかん)すること、達観すること、つまり、ヘリコプターに乗って、上からどういう争いになっているかを見渡しにいくのは一番安全なんですよね。

小田嶋:ドローンを持っていて、高いところから「私から見ると、こう見えます」と。

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