28年隅田川沿いに暮らすホームレスの生活 路上で暮らす男女5人それぞれの経緯と思い

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「夕方は再び日比谷公園へ移動して、夜10時まで食事などをしながらやり過ごす。そこから“餌取り”を深夜1時まで約3時間。翌日分の食料集めをね。独自の情報だから教えられないけれど、顔見知りの弁当屋さんを訪ねたり、店の残飯をもらったり」

その結果、睡眠時間はわずか4時間となってしまう。日比谷公園や築地などで炊き出しがある日の前日は、少しだけ楽だという。

ただリーマン・ショック、東日本大震災を経て、どんどん残飯は出なくなってきましたね。飲食店は残飯が出ないように、どんどん切り詰めていることは確かですよ。皇居外苑は誰かに襲われても警察がすぐに駆けつけてくるところで安全だし、日陰も芝生もあって横になれるし、トイレも水道もあって便利だけれど、食料の確保だけがたいへん」

仕事をしようとは思わないのだろうか。

仕事しないで生活できるから、ホームレスになったのよ。もう人間関係も嫌だし。自分はほかのホームレスとも話をしないし、情報交換もしない。それでも寂しくは感じない。人の世話になる生活保護は元来、好きではないし、なんだかんだで人と関わることになるから」

ところが、そんな人間嫌いの山上さんでも、「感謝することがある」という。

「ときどき、知らないおばさんなどが、弁当や3000円ほどをくれることがあるのよ。今年1月にも若い女性に“ティッシュいりますか?”と声をかけられた。もらったら、裏に1万円札が入っていてね。そんな優しい人もいる。ありがたいですね」

そんなときは、石けんやカミソリ、歯磨き粉、ラジオの電池などを調達する。山上さんに2年後を聞いた。

「ほんのたまに競馬、競輪をやるので、一発、大きく当てて、それを頭金にしてアパートでも借りていたらいいなと。それが夢かなぁ。けれども最近、日比谷公園で公園職員か区役所の職員かわからないですが、直接的な言葉ではないにしても“出て行け”と言わんばかりの態度であしらわれたり、掃除係から小言を言われたり、やはり五輪が近いからなのかと思うことがしばしばありますね」と話した。

女性ひとりなので、ここは物騒で怖い

東京駅の反対側の八重洲口へ足を延ばす。駅前に巨大なバスターミナルがあり、その近辺で時間を費やすホームレスがいる。酔客が帰途につく午後11時ごろ、駅前のベンチに座っていたのがマリア・ブラウンさん(69・仮名)だった。米国人の父親とドイツ人の母親を持ち、欧州で生まれたが、鹿児島県の徳之島で育った。独身を貫き、両親もすでに亡くなっているため、いまは天涯孤独だという。

「服飾のデザイナーをやっていて、東京都八王子市に住んでいましたが、仕事がなくなってきてね。それで昔、住んでいた徳之島に行こうと思って、八王子を引き払って東京駅まで出てきたのですが、お金が足りなくなって……。ここでこうして4か月が過ぎてしまったの。どこかの会社にデザインを売って、お金をつくらなければ」

とブラウンさんは流暢な日本語で話しながら、紙に描きためた服のデザインを見せた。

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