鎌倉の宿の主人が「鎧」を着て接客をするワケ 福祉ではなく多様な雇用創出で障害者支援

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最初はなかなか心を開いてくれないおばあちゃんたちに粘り強く話しかけているうちに、「昔は料理屋をやっていた」「野菜の有機栽培をやっていた」「音楽の先生をやっていた」など、これまで歩んできた人生について話してくれるようになった。

そしてわかったのは、皆一様に傷ついているということだった。昔できていたことができなくなり、仕方のない事情はあるにせよ、家族から「もう一緒に住むのは無理」と、日常生活から隔離された人が多かった。高野さんは、「何とかしておばあちゃんたちに、その人らしく楽しい思いをさせてあげたい」と思った。

そこで持ち前の行動力を発揮し、「危ない」という理由で使用が禁止されていた共同スペースの調理場を活用し、皆で食事を作ろうと提案した。食べたいメニューを考え、外に食材の買い出しに出掛け、ホームに戻って調理を始めると奇跡のようなことが起きた。それまでずっと車いすに座り、立つのも大変だった、元料理屋をやっていたおばあちゃんが立ち上がり、手際よく包丁で野菜を切り始めたのだ。

それを目の当たりにした高野さんは「これだな」と思ったという。障害や認知症、病気というレッテルを貼ってしまうと、できるかもしれないという可能性に目が向かなくなる。しかし、障害の有無や年齢にかかわらず、周囲の考え方やかかわり方次第で、誰しも可能性や「伸びしろ」があるのではないかということに気づき、その後の活動の指針になった。

教育システムにも問題がある

このように行動力のある高野さんに、グループホームでケアマネジャーを務めていた女性がアドバイスをくれた。彼女の息子さんは重度の障害があって寝たきりだったが、「うちの子のような若い障害者にも目を向けてみてほしい。高野君のような人の助けを必要としているはずだから」というのだ。

これをきっかけに障害者との活動に携わるようになり、そこで出会ったのが後に一緒にNPOを立ち上げるなど、活動を共にすることになる永廣征人君だった。

初めて征人君に会ったときには衝撃を受けた。脊髄性筋萎縮症という難病で、首から下はほとんど動かせず、人工呼吸器を外すこともできない。しかし、かろうじてのどを震わすように声は出せるのでコミュニケーションは可能だ。また、わずかに動く指先で特殊なマウスを操り、パソコンで音楽や動画を作ったりしている姿を見て、「こんなすごい奴が世の中にいるのか」(高野さん)と思ったという。

当時、高校生の年齢だった征人君は、特別支援学校(養護学校)に通っていたが、一般の高校に転校することを切望していた。征人君は後に慶大法学部の通信課程に進学し、現在は「寝たきりの弁護士になる」と司法試験合格を目指して勉強中というほど高い知性に恵まれているが、養護学校では十分に勉強を教えてもらえず、友達もできなかった。

そこで、征人君を受け入れてくれる学校を探すことにした。結局、7校で断られ、8校目の定時制高校がようやく転校を許可してくれた。2016年4月に「障害者差別解消法」が施行される以前のことであり、現在よりもハードルが高かっただろう。

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