「下校時刻が異なるのでなるべく同じ学年の子に預けましょうと言われ、入学したてのときに家の近くの人を探すため、教室に模造紙を掲示してあって、家の場所にシールを貼った」とか。こうした学校はまだまだあることがスリールのアンケートからもわかる。
病欠の場合、具合の悪い子どもを置いて友達の家まで行ったり、通学路で連絡帳を届けてくれる小学生を待ち構えたりしないといけない。親同士が、そのために連絡を取り合う必要もあり、近所の親同士のネットワークを作る必要も出てくる。当然のことながら、連絡帳を託される家庭のほうにとっても負担だ。
にもかかわらず、この前時代的な方法が続いている理由は、電話だと回線が限られる、先生たちも多忙で電話対応していられない、メールは先生たちが保護者と私的にアクセスできないようになっている……などのようだ。
変わらない理由
だが、学校の代表連絡先があってメールや電話で連絡を入れられる学校や、民間業者のお知らせメールシステムを導入していて、それで出欠登録ができる学校もある。自治体や学校により、かなりアナログ度合いには幅がある。どうしてこんなに差が出てしまい、またアナログ学校がなかなか変わらないのはなぜなのだろうか。
9月、文部科学省は全国の教育委員会などに対し、子どもの荷物の重量などに配慮するよう求める通知を出した。子どもの荷物が重すぎることが問題視され、宿題に使わない教科書などを学校に置きっぱなしにしてもいいという話だが、文部科学省がお達しを出さなくては判断ができない構造を浮き彫りにもしている。
ある公立校の保護者によれば、この通知が出てからも一向に状況は変わらず、学校に問い合わせたところ「まだ教育委員会から連絡がないので……。各家庭でご判断を……」とのことだった。上から通達がないと動けない学校。「こんなに自主性のない学校で子どもの自主性は育つのでしょうか」と保護者は首をかしげる。
これに加え、予算の少なさも拍車をかけている可能性がある。経済協力開発機構(OECD)によれば、国内総生産(GDP)に占める教育への公的支出の割合は日本は3%程度。比較可能な34カ国中、つねに最低クラスだ。教育社会学者の本田由紀氏は『「家庭教育」の隘路』や『社会を結びなおす』で、日本は教育の公的支出が諸外国より少なく、家庭(主に母親)が教育の重要な役割を担って公的な仕組みを補ってきた構造を指摘している。
先生たちはすでに長時間労働で余裕がない。文科省が実施した2016(平成28)年度の公立校教員の勤務実態調査によると、中学校教諭の約57%、小学校教諭の約33%が、「過労死ライン」(おおむね月80時間超の時間外労働)を上回っていた。保護者の利便性を向上させるためにもっと働いてくれというつもりはない。教師たちも保護者も楽になるようなインフラ、場合によっては人材への投資が必要ではないか。
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