日本と北朝鮮「大学生14人」の交流に見た現実 平壌に約1週間滞在した堀潤氏がリポート
ほかにも、ヨーロッパなどからの輸入物のピアノが入ってこなくなり、国産のピアノが最近ようやく手に入るようになったのでホッとしているという話などもありました。制裁への生活の影響を聞く平壌で暮らす人たちも私たちと同じ生活者なんだということが実感されます。
人と人との関係から、国と国との関係に
堀:いよいよ日本の学生と平壌の学生たちが対面し、交流をスタートさせます。 場所は平壌外国語大学のキャンパスです。グラウンドでは学生たちが休憩時間にサッカーをして体を動かしていました。キャンパス内にはイタリアや中国など外国から平壌に学びにきた留学生の寮などもありました。
まずは日本語を学ぶ平壌外国語大学附属の外国語学院の学生たち(14~17歳)の教室を訪ねました。10人ほどの学生たちがヘッドフォンをして日本語教師の指導を受けていました。日本語学科はかつては学部でしたが、今は学生の数が減って学科になりました。特にこの15年、日朝関係は冷え込むばかりで学んでも将来の仕事に生かせないと、学生たちにとっても不人気な言語になったと言います。人気は中国語と英語。しかし、それでも日本語を学びたいという学生たちの存在は貴重です。外交交渉では彼らが外交官や通訳などとして活躍することが想定されるからです。
日本の学生たちが教室の前に立って、彼らに話しかけます。
――どうですか、僕の日本語?
(朝鮮の学生たち)「正しいです」
――日本語の勉強を始めてどれくらいですか?
(朝鮮の学生たち)「2年です」
(日本の学生たち)「言っていることもわかっているしすごいですね」
――皆さんは将来何になりたいですか?
(朝鮮の学生)「私は将来軍隊になりたい(注:入りたい)です」
――どうして日本語を勉強するんですか?
(朝鮮の学生)「僕のお父さんが元々日本語を専攻していたからです」
――日本語の漢字は難しかったですか?
(朝鮮の学生たち)「はい」
――漢字、カタカナ、ひらがなどれが難しかったですか?
(朝鮮の学生たち)「漢字です」