無事、その園からは合格の通知をもらったが、そのときのヒヤッとした気持ちは忘れられない。その幼稚園は子どもたちが泥んこになって遊ぶようなところで、普段の保護者の服装もかなりラフだったので、そこまでかしこまらなくてもいいと思った。実は私自身が国立附属の幼稚園出身で、私の母は大して対策もせずに行き、私自身は面接でずっと泣いていてそれでも受かったという話を聞いていたから大丈夫だろうという気持ちもあった。
でも、実際に紺一色の景色を目の当たりにしてからは、「服装くらいで落とされる幼稚園なら行かなくていい」と強気でいたものの、内心落ちたらどうしようと合格発表が出るまでハラハラした。
ある私立幼稚園園長先生がこう言っていたことが印象的だった。
「この年齢の子なんて、どの子もすばらしくて、落とす理由がある子なんていないんです。でも定員はあるから、どうしても落とさないといけないときは、家がとても遠いお子さんはお断りするとか、そういう基準を作らないといけない」
ましてや、定員に対して応募が3倍とか、学費が安い国立で倍率が7倍くらいある名門校の受験では、選抜はさらに熾烈だ。「落とす理由はたいしてない」のに、何か落とす理由を作らないといけないのかもしれない。
こういう状態であれば、確かに園によっては、1組だけ紺のスーツを着ていない親子を落とすかもしれない。普段着を着てくる人はTPOをわきまえないタイプか、情報収集能力に欠けているように見えるかもしれない。そう考えると親としてはほかと違うことをするのが怖くなってしまって、無難な「紺」に合わせる。こうしてお受験界の「常識」が作られていくのだろう。実際には幼稚園側がそれを求めていないとしても。
粒ぞろいを目指す名門親
こうした熾烈な受験をくぐり抜けてでも名門幼稚園に行かせたいと考えるのはどのような親なのか。昨今の幼稚園お受験事情をのぞいてみよう。
都内私立女子大の幼稚園に娘2人を通わせる専業主婦の女性は、娘を幼稚園受験させた理由について「粒がそろう、じゃないけど……」と語る。自身も国立附属の幼稚園出身だ。
「善しあしだとは思うんですけど、幼稚園くらいの子どもって自分が見えた環境がすべてになっちゃうから、影響されやすいじゃないですか。そのときに(いろいろな環境を)端から端を見せる必要はなく、親の描くこの辺り(の環境で育ってほしい)っていうのがあるとすれば、その中で育ったほうが、親も子も安心していられるのかなって」
私個人は、子どもの環境はできるだけ多様性があるほうがいいと思うタイプなので、「粒がそろう」という表現には若干ぎょっとした。彼女の話を聞いていると、“乱暴な子や下品な言動をする子がいると影響を受けるので、ある程度幼稚園側がスクリーニングをしてくれて、親も子もきちんとした家庭の子が来ている園がいい”ということのようだった。
もちろん私立の学校なので、その園の方針が気に入る家庭が子息を入れればいいのであって、ある種の価値観が共有されたコミュニティができていくことは当然ではある。こうした均質性を好む家庭向けであり、選抜もそれに沿ったものになっているのだろう。
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