「新潮45」休刊決定でもモヤモヤ感が残る理由 これは将来に禍根を残す幕引きだ

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ここにある「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」とはどの記事を指すのだろうか。新潮社はこれまで具体的に特定していないが、この特別企画「そんなにおかしいか「杉田水脈」論文」に収められた7本の寄稿のうち、小川榮太郎氏による「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」であることは、これまでの経緯を見るかぎり明らかだろう。

そもそもの発端は、2号前の「新潮45」の特集「日本を不幸にする『朝日新聞』」に、自民党の衆議院議員・杉田水脈氏の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」を掲載したことにある。

この記事の一節にある「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供をつくらない、つまり『生産性』がないのです」という表現への批判がまずネット上で起こり、マスコミを巻き込んで炎上していた。10月号の企画は、寄せられた批判に反論するという体裁だったが、結果的にはさらに燃料を投下することになった。

休刊の「本当の理由」は何なのか?

しかし、先の休刊を告げる文中には「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」「会社として十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきた」とも書かれている。

もしそうだとすると、休刊の理由は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」だけではないことになる。この号以前にさかのぼり、かなり長期間にわたり、「十分な原稿チェックがおろそか」であり、その理由が「ここ数年」の「部数低迷」なのであれば、この事件を赤字雑誌を潰す絶好の機会として利用したと受け取られても仕方ない。

「新潮45」10月号に対しては、その内容が明らかになった直後から社内外で猛烈な抗議活動が起きた。

社内では新潮社の公式ツイッターアカウントの1つである「新潮社出版部文芸」が、「新潮45」や新潮社そのものに対して批判的なツイートを次々にリツイート。それらがいったん削除されたこともあり、さらに騒ぎが拡大した。

社外では、「新潮45」以外の新潮社の出版物の取り扱いをやめると宣言する書店や、新潮社の文芸出版物に対する執筆や寄稿を取りやめると言明した小説家もいた。さらに新潮社が主宰する小林秀雄賞を『私家版・ユダヤ文化論』で受賞したこともある内田樹氏は、自身のツイッターでこのような発言を行っていた。

私の見た限りで「廃刊するのが適当」とまで明言した言論人は内田氏だけであるが、このような内外からのプレッシャーが、雑誌の発行元である新潮社に対して連日かけられていたことは想像に難くない。

休刊が発表された25日には、新潮社の社屋前で100人規模の抗議デモが行われるという異常事態にまで発展していたのである。

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