日本の「移民政策」を成功させる真っ当な方法

政府の外国人労働者受け入れ拡大策は万全か

一時的に滞在を認めた外国人労働者が定住し、移民となった例は、戦後、外国人労働者の受け入れを進めたドイツなど西欧諸国がよく知られている。

ドイツでは、1970年代以降に外国人労働者の定住化が進んだが、中長期的観点に立った国による社会統合政策が始まったのは2005年である。その間、外国人労働者の集住がドイツ各地で進み、失業、差別や子どもの教育などの問題が深刻化した。

実は日本も、外国人労働者の定住化に関する経験を有している。1990年の改定入管法施行の影響で、東海地方を中心に南米出身の日系人を中心とする外国人労働者が急増した。しかし、国の社会統合政策の不足によって、1990年代を通じて、外国人が急増した地域社会で混乱が生じた。

当時、外国人が集住する公営住宅を中心に、ゴミ出し、騒音、駐車などをめぐるトラブルが頻出した。日本語能力が十分でない外国人の子どもが通う学校でも受け入れ体制が整わず、いじめが起きたり、不登校、不就学となったりする場合もあり、一部の地域では義務教育年齢の子どもが工場で働く問題も起きた。

さらに悲惨な事件も起きた。1997年10月には、愛知県小牧市で14歳のブラジル人が日本人少年のグループによるリンチを受け、死亡した。1999年6月には、愛知県豊田市の県営団地で日本人とブラジル人の対立が激化し、機動隊が出動する騒ぎも起きている。

体制整備は徐々に進められてきた

社会統合政策は国が所管する出入国管理政策と違って、国と自治体が連携して取り組むべき分野である。ではこれまで、国と自治体はどのように取り組みを進めてきたのか。

1990年以降、外国人労働者が急増した地域を抱える浜松市や豊田市、群馬県大泉町など13市町は2001年5月、外国人集住都市会議を結成した。同年10月には「浜松宣言」を発表し、日本人住民と外国人住民が共生する社会づくりを謳い、国に外国人受け入れ体制の整備を求めた。

2000年代前半に、多文化共生の取り組みを進める自治体が少しずつ増えていく中で、総務省が「地域における多文化共生推進プラン」(2006年3月)を策定し、全国の都道府県や政令市に多文化共生を推進する指針や計画の策定を求めた。

総務省は同プランの中で、地域における多文化共生を「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的差異を認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていく」ことと定義している。

一方、同プランが「生活者としての外国人」という観点を打ち出したことが契機となり、2006年12月には政府が一体となって、外国人の生活環境を整備するため、「『生活者としての外国人』に関する総合的対応策」が策定された。

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