ニッポン放送が守り切る災害時報道の大原則 社員が1人になってもラジオ放送は続ける
そこでニッポン放送では、古くは長崎県の雲仙・普賢岳の大噴火(1991年)や北海道南西沖地震(1993年)から、2011年の東日本大震災に至るまで、パーソナリティの泉谷しげるさんを中心に、音楽を通して“心の物資”を届けようという趣旨のキャンペーンを不定期に行ってきました。ラジオ局ならではの特性を生かしてできることが、まだまだたくさんあるのではないかと思います。
――しかし、放送局自体が被災するケースもあると思います。ニッポン放送ではどのような対策を取っていますか。
ニッポン放送では1964年の新潟地震をきっかけに、災害時の細かな対応マニュアルを作成し、全社員に配布しています。このマニュアルには、放送を続ける方法が具体的にまとめられていて、どの装置をどう操作すれば電波が流せるかが、すべて明記されているんです。一世代前のマニュアルには万が一、都内全域が壊滅した場合に、千葉県にある弊社の送信所へ行くために契約している船宿まで記されていたので、いざという時は誰かが海を渡って放送を続けることも想定されていました。
もし、その木更津の送信所が被災して使えなくなったとしても、現在はAMラジオ全局がFMでも電波を発信しています【※】から、どちらか稼働するほうを利用します。ニッポン放送では、たとえ被災によって社員1人になってしまったとしても、放送を途絶えさせない備えをしているわけです。
※ ワイドFM(FM補完放送)。AM放送局の放送エリアにおいて、難聴対策や災害対策のために従来のFM放送用の周波数を用いてAM番組を放送している。
――それはすごい……! あまり想像したくない事態ですが、強い使命感を感じさせる体制ですね。
実際に、東日本大震災で東北放送さんが被災した時は、送信所こそ無事だったものの、周囲が海に飲まれたことから発電機に給油ができず、放送が続けられなくなる危機にひんしました。ラジオ局が使命を果たすには、あらゆる状況を想定して対策を練っておく必要があります。
――有事の際に放送すべき情報とは何でしょうか。
伝えるべきは被害状況よりも、あくまで被災者に寄り添った情報です。どこでどのような支援活動がなされているか、救助された人たちがどこにいるかなどを伝えることが最優先だと、社員には日頃から徹底指導しています。ただし、実際にはそうした作業の前に必ずやらなければならないことがあります。それは自分の家族の安全を確認すること。社員の一人ひとりが家族の安全を確保し、その上で動けるのであれば、放送を続けるために最善を尽くすことをルールとしています。
――こうした災害対策としては、他局との横の連携も?
はい。NHKと民間のラジオ局を合わせた計7局、そして電力会社やガス会社など首都圏のライフライン5社で、「ラジオライフラインネットワーク」という組織を設置しています。これは、各社を専用の線でつなぎ、有事の際に互いに情報共有を行うためのネットワークです。電力会社から電気の復旧状況を伝えてもらったり、ガス会社からコンロの元栓を締めるよう呼びかけてもらったり、それぞれの立場からの情報を一元管理することが目的です。こうした情報を各局が個別に求めると、ライフライン各社を混乱させてしまいますからね。