ベートーヴェン「交響曲第1番」の音楽的冒険 モーツァルトと入れ替わりに登場した天才

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18世紀末のウィーンでは、彼方此方でピアノ変奏のコンテストが開催されていました。さすが音楽の都です。腕に覚えのある野心に満ちた音楽家たちが参加するのです。スポーツ観戦みたいだったといいます。勝てば、新進ピアニストとしての評判が立ちます。

ルールは簡単です。コンテスト参加者には、その場で簡単なテーマが与えられます。参加者は、自由に変奏して、作曲のセンスとピアノの技量を競うわけです。田舎町ボンからやって来たピアノ教師ルードヴィヒ青年にとっては世に出る良き機会です。そして、次々に圧倒的な勝利を納めていきました。

ベートーヴェンの勝因は2つあります。まず、ピアノのレガート奏法です。当時のウィーンでは真珠の玉が転がるような軽快なスタッカート奏法が主流でした。そこにベートーヴェンは音が滑らかにつながる叙情的なレガート奏法を持ち込み、聴衆に強い印象を与えました。さらに、変奏のやり方です。従来の変奏は主題の基本構造の中で新しい旋律を紡ぐものでした。ベートーヴェンは、曲の構造についても大胆に展開した上で超絶技巧の流麗なフレーズを導入しました。

そして新進気鋭の作曲家の誕生

田舎町ボンからやって来たピアニスト、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ウィーンの楽壇で知る人ぞ知る存在になります。

一部には、『悪魔の指を持つ男』とまで言われるようになりました。そして、知名度は急上昇です。それは、実生活にすぐ反映します。格上の貴族の娘たちがピアノを習いに来るようになります。人脈が広がり、収入は安定します。

いよいよ、本格的に音楽に取り組みます。悪魔の指を持つピアニストにして新進気鋭の作曲家として。

そして、生まれたのが、交響曲第1番です。その後は、クラシック音楽の歴史そのものです。

名盤名演多数ですが、第1番の半分青い響きを引き出しているのが、サー・ロジャー・ノリトン指揮、ザ・ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ盤です。19世紀初頭の古楽器による演奏で、ベートーヴェンの青春の雄叫びを味わってみて下さい。

小栗 勘太郎 音楽愛好家

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おぐり かんたろう / Kantaro Oguri

1958年生まれ。東京外国語大学卒。米国滞在7年余。音楽愛好家。ポップ、ロック、ソウル、ジャズ、映画音楽からクラシックまで幅広く聴く。現在、 西日本新聞に「音楽プラスα」、毎日フォーラムに「歴史の中の音楽」を連載中。著書に『音楽ダイアリー SIDE A』『音楽ダイアリー SIDE B』(いずれも西日本新聞社刊)。

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