払わないとか、減額してほしいと言っているわけではなく、杓子定規に生活保護と同じ水準になるまで差し引くのはあんまりなのではないか――。自治体の担当者に電話をかけ、そう文句を言った。しかし、返ってきたのは「法律で決まっていること。どこで決まったか? 国会です」という冷たく、短い答えだったという。
カナメさんは「貧困を知らない人が、制度や法律をつくっていると思います」と訴える。
母親の“恐怖政治”に縛られてきた
生まれ育った家庭は「裕福なほうでした」。父親は国家公務員で、母親はフルタイムで働く派遣社員。幼い頃から、水泳教室や英語教室などに通い、大学進学では、浪人も許された。大学院卒業までの学費は、奨学金の返済も含めて親が負担したという。
しかし、カナメさんは両親のことを、特に母親のことを「毒親」だと非難する。毒親とは、虐待やネグレクト、過干渉、抑圧などによって、子どもに悪影響を与える親のことを指す。2000年以降に広まった言葉である。
「小さい頃から、母親の“恐怖政治”に縛られてきました。いつも母親の機嫌ばかりうかがっていました」とカナメさん。
殴る蹴るといった直接の暴力は受けなかったが、リモコンやラジカセ、茶わんなどのモノをよく投げつけられた。「星一徹ばりのちゃぶ台返し」も何度かあったという。
「何より嫌で、怖かったのは、でかい声で怒鳴られること。たとえば『私はお前の家政婦じゃねえんだよ』とか。後は、産みたくて産んだんじゃない、みたいなこととか。今でも、(仕事などで)大きな声で怒鳴られると体がキュッとなります」
親子関係ばかりは、他人が簡単に理解することはできない。子どもに経済的に不自由をさせない親の中にも、毒親はいるだろうし、一方で、カナメさんの両親にも、言い分はあるだろう。
ただ、息子がホームレス状態になったとき、そのことを人づてに聞いたらしい両親は「今、お前には会いたくない」と、これもまた人づてに伝えてきたという。
カナメさんは「親子の縁は自分からぶった切ったんです。今はなんの感情も、憎しみもありません」と言う。ただ、取材中は、母親について「ウソつき」「結婚生活の不満を子どもにぶつけていた」「今度会ったら殺す、くらいの気持ち」と恨み言を繰り返した。
子どもが毒親の呪縛から逃れるのは、そう簡単なことではないのではないか。
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