日本一のヒガンバナ群生「巾着田」の誕生秘話 9月30日まで「曼珠沙華まつり」が開催

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500万本の曼珠沙華が咲き誇る9月中旬の巾着田と高麗川の清流(筆者撮影)
埼玉県日高市の高麗川河畔の「巾着田(きんちゃくだ)」では、9月下旬の2週間ほどの間、およそ500万本の曼珠沙華(マンジュシャゲ、ヒガンバナの別名)の群生が花を咲かせる。
巾着田管理事務所のホームページによれば、曼珠沙華の開花時期には約30万人が見物に訪れるという。また、昨年は天皇皇后両陛下が私的旅行で近隣の高麗神社と巾着田を訪問され、全国的なニュースとなった。
今では広く知られるようになった巾着田の曼珠沙華だが、自然にここまで大きな群生地ができたわけではない。また、1970年代には巾着田にダム建設の計画が持ち上がり、環境破壊の危機もあった。
本稿では、巾着田のそばで生まれ育ったという日高市観光協会会長の駒井正治さんに話を伺い、日本一の曼珠沙華群生地が誕生するまでの秘話をお伝えしたい。

最初はどのように増やしたか

巾着田というやや変わった地名がなぜ付いたのかは、巾着田の北西に位置する日和田山(標高305メートル)に登ってみればすぐに理解できる。正丸峠に源を発する高麗川が山間部を抜け、平野部に入ってすぐに大きく蛇行する。その蛇行した川に囲まれた部分が、まるで巾着袋のような地形になっており、1970年代のはじめ頃までは、巾着田内で稲作が行われており、文字どおり田んぼだった。今では田んぼは一部を除いて消滅し、広場や駐車場などに変わっている。

日和田山から見た巾着田(筆者撮影)

かつて田んぼだったエリアを囲うように、上流から運ばれてきた砂礫(されき)が河岸に堆積してできた自然堤防があり、この堤防と川に挟まれた堤外エリア(約5万5000平方メートル)に、およそ500万本といわれる曼珠沙華が群生しているのだ。

曼珠沙華の本数は、2005年当時のパンフレットには「約100万本」と書かれており、現在は公式には約500万本、駒井さんによれば「実数は700万本くらいあるのではないか」と、その数は年々増え続けている。しかし、最初から自然に増えたわけではないという。

話は1960年代にさかのぼる。日高は東京都心から40キロ圏内にあり、高麗川の清流や日和田山などの自然、高麗神社などの文化財がある。このような環境から、現在も「遠足の聖地」を宣言(2017年4月8日)するなど、都内や埼玉県下の子どもたちの遠足の誘致に積極的だが、当時から多くの学校が遠足に訪れていた。

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