日本一のヒガンバナ群生「巾着田」の誕生秘話 9月30日まで「曼珠沙華まつり」が開催

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ちなみに、日高市のホームページによれば、現在の日高市の水源は県水50パーセント、地下水50パーセントで、巾着田の中にも地下水の取水場(高麗本郷取水場)がある。

以上のようなダム建設計画のために用地買収が進み、計画が頓挫した経緯から、巾着田には市所有の広大な遊休地が発生し、その利活用が問題となったのだ。耕作をやめた土地は、湿地・荒れ地になりはじめていた。ちなみに現在、地元の人と話をしても、このようなダム計画があったことはすでに記憶から風化しつつあると感じる。

巾着田が有名に

その後、1987年に地元住民と町から構成される巾着田等利用検討委員会が設置された。さらに、1989年に竹下内閣によって全国の自治体に1億円が交付された「ふるさと創生事業」の中心事業として巾着田の整備計画が位置づけられた。

この交付金を基に基金を設置するなどし、1991年以降、整備事業は約5年かけて順次進められ、県道から巾着田内への進入路が新設されたほか、多目的広場、管理棟、水車小屋などが設置された。そして、事業の締めくくりとして、現在も巾着田のシンボルとなっている歩行者専用の日本最長級の木製トラス橋「あいあい橋」(91.2メートル)が設置された。

昭和の終わりから平成に入る頃になると巾着田の曼珠沙華がしだいに広く知られるようになってくる。駒井さんは当時の状況について「巾着田が市有地になってからは、草刈りは市の入札業者が行うようになったが、9月に曼珠沙華もろとも刈ってしまっていた。そこで時期をずらして(曼珠沙華が伸びて花を咲かせる前の)8月に草刈りを行うよう依頼した。すると、曼珠沙華の群生が見られるようになって人々が注目し、しだいにメディアにも取り上げてもらえるようになった」と話す。

巾着田の曼珠沙華はその数500万本(筆者撮影)

さらに、2005年には、それまで一級河川の河川敷として国の管轄下にあった巾着田の堤外地が、規制緩和により市管理の都市公園として整備可能となり、「巾着田曼珠沙華公園」となる。

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