移籍の前に所属していたのは世界最大のレコード会社コロムビアです。アレサは、合計8枚のアルバムをコロムビア時代に発表します。それは、コロムビアのアレサに対する期待の表れでしたが結果は伴わず、鳴かず飛ばずだったのです。したがって、移籍は、アレサの意思というより、コロムビア側の意向で契約が打ち切られたというのが実態でした。
そして、移籍先のアトランティック・レコードは、今ではレイ・チャールズから、ジョン・コルトレーン、さらにはレッド・ツェッペリンまで擁するロック・ソウルの超名門レーベルですが、アレサが移籍した1966年の段階では中堅のインディー・レーベルにすぎなかったのです。世界最大のレコード会社から独立系への都落ちと言ったら言いすぎでしょうか。
しかし、ここからアレサ・フランクリンの運命の扉が開きます。どうやって扉は開いたのでしょうか。
天賦の声と圧倒的な歌唱力
アレサ・フランクリンが屹立した歌手であることは、彼女の声を聴けば誰もが納得します。だから、弱冠19歳という若さで世界最大のコロムビア・レコードと契約できたのです。
まず、声がありました。
音楽の素養は、たゆまぬ鍛錬で向上するものです。練習は決して裏切りません。しかし、声だけは天賦のものです。わずか2センチに満たない声帯の有りようで決まります。村上龍の最高傑作『コインロッカー・ベイビーズ』に主人公ハシが自分の声を強靭でセクシーに変貌させるため舌を切る場面があります。このエピソードは、声は所与のものであると同時に決定的に重要だということを示しています。
アレサの声は特別です。芯が強く、艶と張りがあります。しかも、音域が圧倒的に広いのです。一説には5オクターブを出せたといいます。オペラ歌手並みの音域です。
そして、圧倒的な歌唱力です。
ここには、3つの要素があります。まず、音程・ピッチの正確さです。これは音楽の基本です。チューニングの乱れた楽器では音楽になりませんから。そして、リズムです。オバマ前大統領のコメントに「すべてを忘れて踊る」とありますが、頭よりも先に身体が動いてしまうほどのグルーヴを感じさせる抜群のリズム感ビート感です。そして、歌の表現力です。愛を語り、悩みを打ち明け、自己主張し、怒りをぶつける。喜怒哀楽を歌に乗せる。強弱、息継ぎ、発声法等のアーティキュレーション能力が素晴らしいのです。
そんなアレサの歌は、著名な牧師である父のキリスト教福音派の教会で鍛えられました。その核心はゴスペルです。日々直面する生活の矛盾や悲哀や葛藤や歓喜を神の御前で歌う。10歳の頃から歌いオルガンを弾く。才能の原石に磨きがかかりました。
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