堀江貴文「将来への予想や心配に意味はない」 みんなもっと「今の自分」を大切にしよう

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よく「生活のために働いている」「家族を食べさせるために働いている」という言葉を聞く。いまだに意味が理解できないのだが……ここではさておき。まったく反対に「生活のために遊んでいる」「家族を食べさせるために遊んでいる」人生は、夢想ではないと、気づいてほしい。生きるための仕事なんていうものは、なくなったのだ。

安い仕事で我慢している人たち

ベストセラーとなった『サピエンス全史』には、「人間はかつて穀物の家畜だった」といった記述があるが、実に言い得て妙だ。狩猟採集生活をしていた頃、人々は喜び勇んで、狩りに取り組んでいたはずだ。しかし農耕生活を始めたことで、生きるために、嫌でも畑を耕さなければならなくなった。人々は集団=家族で暮らし、土地に根を張って生きていく選択を強いられた。その果てに、住む地域を移動したり、仕事を選ぶ自由を失ってしまった。

そもそも産業革命によって、機械化が進んでからは、人は生きるために働く必要がなくなったはず。しかし市場原理のなせるワザなのか、産業革命以降も安い仕事でも渋々働いてきた人たちが、ほとんどだ。

「食べていくために」安い仕事で我慢している人たちが、実は経済発展において、大きなネックだ。低い待遇で働こうという集団がいる以上、労働単価は上がらないのだ。言葉を選ばずに言うけれど、すごく迷惑な存在だ。

「こうあるべき」という妄想に、意味もなくとらわれている人が多すぎる。

働くとは、つらいこと。そんなこと誰が決めたのだ? 遊んで暮らしてもいいし、遊んで食べていける環境はもう整っているのだと、どうして気づかないのだろう? 決まったオフィスで働き、毎日決まった家に帰る必要なんてないのだ。安い賃金で、いやいや仕事している人は極端な話、社会の発展を邪魔していると思ってくれたほうがいい。コンビニやスーパーのレジにしても、不満が出るような安い時給でも、その仕事を選ぶ人がまだたくさんいるから、全体的な機械化が進まないわけだ。

不満のある仕事を選ぶ人がいなければ、その仕事の労働単価は上がり、人件費が機械化のためのシステム開発コストを超える。そうなれば不満を言いながら働いていた人たちは、好きな別の仕事に就くことができる。やりたい仕事で楽しく、笑いながら働く人たちは、もっと増えるだろう。仕事観も家族観も、もっと合理的に自分を解放しよう。

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