「世界ふしぎ発見!」が33年も続いている必然 レジェンド・オブ・クイズ番組は何が凄いのか

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しかし、始まった当時の視聴率は無惨なものだった。1回目6.6%、2回目5.6%、そして3回目は3.5%(ニールセン調査、当時)。ある週刊誌は「プロデューサーは間もなく首になるだろう」と報じた。改革案が飛び交うなか、報告に行った提供主、日立の宣伝部長は私にこう言った。「君が自分のプランを正しいと思うなら、そのままやると良い」。番組は蘇った。

古代遺産を視聴者に教育するような番組の制作方針に問題があったのだ。だが8回目で「タイに日本とまったく同じ納豆がある」という日常生活に近い意外な発見をしたことから、人間を見るやさしい目線で歴史を語る番組に変わった。視聴率は急上昇した。

この番組にはもの知りのゲスト解答者が出演する。見事に個性を発揮した画家池田満寿夫、映画監督大島渚や羽仁進、俳優川口浩らの名解答を思い出す。木村拓哉、浅田真央らの特別出演もあった。麻布の図書館で黒柳さんはある本に手を伸ばした。そのとき後ろで誰かが荷物を落とす大きな音がした。黒柳さんが振り向くと、それは番組リサーチャー。黒柳さんが答えが書かれた本に手を伸ばした途端の出来事だった。歴史に残る実話の笑い話になった。

帝国ホテルで開いた野々村真パーフェクト達成の記念パーティ(写真:「GALAC」より転載)

野々村は20年間パーフェクトを取れなかった。もしパーフェクトを取ったら帝国ホテルで盛大にパーティをやってあげるという私の約束を信じる人はいなかった。野々村初のパーフェクト!(2005年8月6日放送分)私はその約束を果たした。帝国ホテルも笑いながら豪華な孔雀の間をとってくれた。TBSの社長も出席し、野々村家の家族を招いた盛大なパーティが開かれた。

みんなが感動するパーティだった。黒柳さんは「私はたくさんパーフェクトを取っているのに、一度もパーティを開いてもらってない」と笑わせる。チームみんなが同じ思いで制作すること、それが継続の秘訣である。1年目からいたスタッフが10名、昔のままに働いている。

独創的なメッセージを発信し続ける

ミステリーハンターは視聴者の代表である。ミステリーハンターの反応から逆に私たちが学ぶ。決してミステリーハンターが視聴者に教えるような態度をとってはならない。視聴者と一緒に旅をすること。現地で知った情報を謙虚に伝える姿勢を持つこと。お年寄りや子どもの取材では目線の高さを同じにし、跪いて取材する。それがこの番組の原則である。

私の尊敬するフジテレビ「オレたちひょうきん族」のプロデューサー、横澤彪さんがある日私にこう囁いてくれた。「君ね、僕は『世界ふしぎ発見!』をずっと見ているのだけど、毎年少しずつ内容変えているね。それも気がつかれないようにね。それがすごいよ、僕は今、君の番組が一番新しい番組だと思うよ」。嬉しい言葉だった。見事に私たちの戦略を見抜いている。その数カ月後に横澤さんは亡くなった。彼の遺言を私の大切な教訓として胸に残している。

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