インドネシアが「お家芸危機」を脱した舞台裏 アジア大会バドミントンで「強さ」が復活

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スサンティさんといえば「バドミントン界の女王」と称されるレジェンド。15歳でナショナルチーム入りを果たし、1992年にバルセロナ・オリンピックでインドネシアに初の金メダルをもたらした。1993年の世界選手権でも優勝し、その後は主要な大会で連続して優勝を続けた世界的な名選手である。

今回のアジア大会の開会式でも、聖火の最終ランナーとして聖火台に火を灯す重要な役割を演じた。

メンタル強化、敏捷性で身長差を補う

その後、PBSIではスディルマンカップでの敗因分析を行った。なかでも、男子選手が競り合いや勝負どころでミスをするケースが多く、「負けても悔しがらない」「闘争心が乏しい」など「メンタルの弱さ」が指摘された。

そこで過去1年間、精神統一や瞑想、自己目標を設定してそれを達成する努力などのメンタル強化のほか、「ピンチのときはタイムを取り、タオルで汗をぬぐうなど間を取って、気持ちを落ち着かせること」、さらに「フェイントによって相手のタイミングをずらす戦術」「常に力強いスマッシュを打ちこむと同時に、次に備えて瞬時に反応する敏捷性」などを徹底的に鍛え抜く練習を繰り返した。

前述のように、8月28日に行われた男子ダブルス決勝戦はインドネシア人ペア同士の対戦となった。この試合第3セット22-22の接戦でのラリー中に「スーパープレー」が飛び出した。どちらも譲らないラリーの最中にスカムルヨ選手のラケットのガットが切れてしまった。

そのとき、スカムルヨ選手はコートサイドに素早く走り、自分の予備のラケットと交換してコートに戻り、再びラリーを続けたのだった。その間「2.5秒」。ラリーは54本続き、最後はスカムルヨ選手のスマッシュでポイントをゲット、その勢いで試合を制し、優勝したのだった。

そのプレーは「信じられない2.5秒の離れ業」として中継した地元テレビ局の映像が動画再生サイト「YouTube」にアップされ、再生回数は150万回を超えた。

このプレーは「決してあきらめない」というインドネシアのバドミントン復活の象徴とされ、同時に瞬時の判断と優れた瞬発性とこれまで繰り返してきた練習の成果が反映されたものと評価されている。

男子ダブルスで金メダルを獲得した世界ランク1位のギデオン選手は身長168センチ、スカムルヨ選手は170センチと決して大柄ではない。しかし「バドミントンに身長は関係ない。とにかく自信が大事だ」とPBSIの育成強化部長になったスサンティさんが強調するように、今回のアジア大会でのインドネシア選手は自信に満ちていた。

その結果が金メダル2個を含む8個のメダル獲得という今大会の結果だ。スサンティさんは「男女ともにシングルスでは大きな収穫があった。我々は2年後の東京オリンピックに向けた準備をこれから本格的に進める」と発言している。2年後の東京オリンピック・バドミントン競技での「インドネシア旋風」には注目が集まりそうだ。

大塚 智彦 フリーランス記者(Pan Asia News)

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おおつか ともひこ / Tomohiko Otsuka

1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からはPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材執筆を続ける。現在、インドネシア在住。著書に『アジアの中の自衛隊』(東洋経済新報社)、『民主国家への道、ジャカルタ報道2000日』(小学館)など。

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