世界レベルで「大学が崩壊している」根本原因

研究機関は本来、天才を「飼っておく」場所だ

中野:第1次産業革命の頃はまだ、科学と産業は今ほど一体化してはいなかった。現場の発明家や技師が頭をひねって機械を改良していけば、原理的な研究はしなくても競争力が維持できたわけです。

中野 剛志(なかの たけし)/評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2005年に同大学院より博士号を取得。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(ともに集英社新書)、『国力論』(以文社)など(撮影:今井 康一)

ところが第2次産業革命になると、そうはいかなくなってしまった。19世紀後半のドイツはイギリスにキャッチアップするために大学で実学を重視しました。化学あるいは経営や経済の研究を大学が中心になって進め、大学で研究していた科学者がそのまま民間企業に就職して、世界を制していく。アメリカでも重化学工業の発展と並行して、ドイツの大学のような大学が設立されていく。こうして19世紀の後半、イギリスの産業的優位はしだいに失われ、アメリカとドイツに追い抜かれていった。

それに脅かされたイギリスが、「このままではまずいぞ。オックスブリッジ流の古典教育だけではだめだ」となって、シドニー・ウェッブが1895年にLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)を創設して、実学教育、実践教育を始めた。それが現在の欧米の大学につながっていくわけです。

つまり近代に入っても第2次産業革命までは、大学は依然として非常に中世的だったんですよ。そこに起きた第2次産業革命という変化が大学の変革を強いたのではないか。

大学とは1つの独立した世界であり、小宇宙だった

佐藤:20世紀半ば、ケンブリッジ大学で教えた文芸評論家のF・R・リーヴィスは、大学こそ「文明における創造性の中心地」たるべしと語りました。

大学を意味する英語「ユニバーシティ(university)」は、「賢者と、学びを志す者の共同体」を意味するラテン語「universitas magistrorum et scholarium」から生まれた言葉とされますが、「universitas」とは元来「全体性を持ったまとまり」のこと。

つづりが示すように、これは「世界」や「宇宙」を意味する言葉「ユニバース(universe)」とも通じます。大学とは1つの独立した世界であり、創造的探求を旨とする小宇宙だったのです。だからこそ、外部の介入を拒否することも許された。

ところが実学志向が強くなると、これが崩れてくる。LSEが創立される30年ほど前、アメリカではハーバード大学のすぐ近くに、理系中心のMIT、マサチューセッツ工科大学が作られました。しかしMITの正式名称は、マサチューセッツ・インスティテュート・オブ・テクノロジー。「ユニバーシティ」ではないんですよ。

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