世界レベルで「大学が崩壊している」根本原因

研究機関は本来、天才を「飼っておく」場所だ

藤本 夕衣(ふじもと ゆい)/清泉女子大学特任講師 1979年生まれ。愛知県出身。京都大学教育学部卒業、同大大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。教育哲学、大学教育学専攻。日本学術振興会特別研究員、京都大学高等教育研究開発推進センター研究員、同センター特定助教、東京大学大学総合教育研究センター特任研究員を経て、現在に至る。著書に『古典を失った大学』(NTT出版)、『反「大学改革」論』(共編、ナカニシヤ出版)などがある(写真:藤本夕衣)

藤本:そうですね。だからこそ「近代の大学」の理念、すなわち、大学は人間の理性に基づく真理の探究の場である、という理念の登場が重要になると言えます。さらにいえば、そうした真理の探究として大学を守るには、主に2つの条件があると考えられていました。

第一の条件は、「国家に庇護されつつも、国家から干渉を受けない場であること」であり、第二の条件は、「教員の研究と学生の学びが一致すること」です。これは「研究と教育の統合」という言葉で表現されます。

このように、大学は国からお金はもらうけれども、研究内容、教育内容、運営方法については口を出されない、ということが重視されていました。そして、それが認められていたのは、「ほかから干渉を受けることなく真理の探究を行う場が存在すること、それが社会の発展に寄与し、国家にとっても有益である」という共通理解があったからでしょう。

大学では、学校教育とは違って、教員が既存の知識を効率的に教えるのではなく、指導する側にも探究すべき問いがあります。だからこそ、その問いを深めていく研究のプロセスに学生もかかわることができ、学ぶことができる。真理を探究する場としての大学は、学問の自由、大学の自治が前提となって初めて成立するものだと考えられたわけです。

中野:国家の庇護を受けつつ国家の干渉を受けないというのは、まさに教会の姿ですよね。中世ヨーロッパでは教会だけでなく、「都市の空気は自由にする」というように、国王の権力に対する自治という概念が脈々と受け継がれていました。その意味では大学の自治という概念そのものが中世的要素を含んでいる。実際、「日本の大学は、封建主義的だ」などという非難をした財務官僚がいましたね。

信仰を失った知性は実利と効率にひれ伏す

佐藤:フランス革命以来、近代合理主義は「理性」を神の座に据えようとしてきました。1793年11月にはノートルダム大聖堂で、「理性の祭典」を実際にやったぐらいです。しかし「国家に庇護されつつも国家からの干渉は受けない」という姿勢は、社会契約論的な発想からすると理屈に合わない。社会的な権利は普通、義務を伴いますので「なぜ大学(人)だけ、そんな特権を享受できるのか? 根拠はいったい何なのだ!」となってしまう。

その答えは「国家は現世を支配するが、われわれは現世を超えた価値に仕えているから」以外にないでしょう。理性だけではダメで、やはり神が必要なのです。

藤本:実際、理性を核にした大学の理念は、1930年代には危機に陥ります。1933年にマルティン・ハイデガーは、フライブルク大学で「ドイツの大学の自己主張」という学長就任演説をしました。大学を自分たちの民族に資する場として位置づけ、ナチズムへの加担を宣言するような内容だととらえられていて、ハイデガー研究者の中でも悪名高いものです。

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