世界レベルで「大学が崩壊している」根本原因 研究機関は本来、天才を「飼っておく」場所だ

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佐藤:ですから「マサチューセッツ工科研究院」と訳してもかまわない。産業に直接的に寄与することを目的とした教育施設が、独立した世界、ないし小宇宙である必要はないんですね。MITとLSEは、近代社会における大学の変化を象徴する存在だと思います。

大学とは天才を飼っておく場所

中野:僕は研究機関としての大学は、効率性を求めるべき場ではないと思っているんです。

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時間をたっぷり与えて「好きなことをやれ」と言われたら、ごく少数の、本当に学問が好きで、学問に優れた人間は、自分から勝手に優れた研究を始めるんですよ。文系の場合、お金すら大していらない。その研究はその時代には何も成果が出なかったとしても、30年後、100年後に価値が見いだされるかもしれない。

そういう人たちは権威主義も何も一切関係なくて、「とにかく研究させてくれ。研究費だけ出して、あとは放っておいてくれ」と、それだけ思っている。たぶんそういう人たちが世の中には必要なんです。好き放題にやれと言われて、100年後に認められるような成果を出す人間というのが、この世に0.003%ぐらいはいて、われわれ凡人は「そういう人間も必要なんだ」と寛容に認めなくてはいけない。

ではそういう人をどこに置いておくかといったら、大学ぐらいしかない。ほとんどの先生が趣味的な研究に没頭する役立たずで、学生はみな自由放任で遊んでいてもかまわない。そうでないと、凡人には理解しがたい偉業を成し遂げる0.003%の天才を活かすことができないから。大学とは本来、そういう非効率であるべき場だと思います。そういう天才のことが理解できない秀才の官僚やビジネスマンが大学を効率的に経営したら、天才たちは居場所を失うでしょう。

佐藤:大学でなくとも、かつてのベル研究所では、学生に「30年もかからない仕事には手を出すな」と教えたそうですね。となると一生かけても、できる仕事は1つか2つ。しかし、それこそ本物ではないでしょうか。

中野:かつてのベル研では、研究者に資金を渡して「好きなことをやれ」と言って、そこから画期的な成果が生まれていた。それが1980年代ぐらいから成果を求めるようになって、「ベル研は死んだ」と言われるようになってしまったそうです。

佐藤:SFや科学解説で有名なアイザック・アシモフは、凡人が天才の仕事を応援する最良の方法は、とにかく好きにやらせることだと言っています。文句もつけない、称賛もしない。どうせ自分の理解など超えているとわきまえて、放っておくのがいちばん賢い、と。

:私も賛成ですね。今も一部の優秀な、本当に学者に向いている人たちは、誰にも評価されないかもしれない研究を一生懸命やっています。そうした人に対して今の大学改革のように「効率化しろ」とか「目に見える成果を出せ」などと迫らないほうが、長い目で見るといい結果が出るだろうと感じます。

藤本:5年や10年といった短期間の「目に見える成果」が求められ続けているなかで、自然科学の基礎研究や人文学は危機的状況に置かれています。政府は、こうした危機についての認識が浅いのだと思います。

久保田 正志 ライター

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くぼた まさし / Masashi Kubota

1960年東京都品川区生まれ。経済系フリーライターとしてプレジデント社・東洋経済新報社・朝日新聞出版社などで取材・執筆活動を行っている。著書に『価格.com 賢者の買い物』(日刊スポーツ出版)。ペンネームで小説、脚本等フィクション作品も手がけている。

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