渡邉恒雄と川淵三郎、「犬猿の仲」の和解劇 大論戦勃発から25年、初対談で語られた本音

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余裕しゃくしゃくかと思っていた渡邉さんが「勝ち目はない」と思っていた、というのは意外な話だった。それを知っていたら、当時の僕のストレスも少しは軽減されたかもしれない。

もう1つ大きな収穫は、2020年の東京オリンピックについての意見が一致したことだった。もちろん僕はオリンピックの成功を願っているし、そのためには何でも協力はするつもりだ。しかし、開会式などがどんどん派手になっていくことには個人的に違和感がある。開会式の主役は選手であり、入場行進こそがメインイベントであるべきなのに、いまはそこが付け足しになっているように思える。そして渡邉さんも、オリンピックについては危機感を感じていらした。

「川淵さん、このまま放っておくと小さい国は、オリンピックの開催国になれないでしょう。しかし、大きい国もまた財政的な問題があるからそう以前のようにはできない。このままでは立ち行かないので、だんだん変わっていくんじゃないでしょうかね。下手をすると行き詰るので、簡素化をせざるをえないでしょう。純粋にスポーツの世界大会という原点に戻る時期ではないでしょうかね」

まさに「我が意を得たり」という思いだった。

「天敵」渡邉恒雄さんへの感謝状

話は野球やサッカー、スポーツにとどまらず、渡邉さんの政治記者時代の秘話から、カントの哲学に至るまで多岐にわたった。驚くほど共感することが多い対談だったが、唯一、まったく違ったのが「独裁者」と評されることについての考え方だった。

僕は改革を進めるうえである程度、独断専行に走る局面が生じることは仕方がないと考えており、その意味で「独裁者」と呼ばれるのもプラスに受け止めている。しかし、渡邉さんは、こう話された。

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「川淵さんはそれでマイナスはないんだよ。僕のほうはきわめてマイナスですよ。新聞社というのは民主主義を支える手段なんですから。普段、『独裁者はけしからん』という論調を張っているのに、「ナベツネは独裁者だ」なんてあらゆるところで不当に言われる。本当に被害は莫大でしたよ(笑)。川淵さんは困らないけど、僕らはイメージがダウンして本当に困ってしまった。独裁者なんて言われて、非常に傷ついたものです。僕は民主主義者だから」

これは実際に話してみないとわからない、意外な話だった。

勝手に2人の共通点を言うのもおこがましいかもしれないが、僕も渡邉さんも、その時々で、思ったことについて「黙ってられるか」とばかりに発信してきた。それによって対立や軋轢が生じることもあったが、やはり思ったことや意見を表明したうえで考えていくのは、大切なことではないだろうか。かつての「天敵」転じて、現在の「恩人」とじっくり話をしてみて、改めてそう感じた次第である。

川淵 三郎 日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー

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かわぶち さぶろう / Saburo Kawabuchi

1936年、大阪府出身。早稲田大学サッカー部を経て、1961年に古河電工に入社。同社サッカー部でプレーする。1970年に現役引退。サッカー日本代表監督などを経て、1991年にJリーグ初代チェアマンに就任。2002年に同職を退き、日本サッカー協会の会長に就任。2008年、同協会名誉会長。現在は、同協会最高顧問、公立大学法人首都大学東京理事長、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー、日本トップリーグ連携機構会長など、肩書多数。(写真提供:B.LEAGUE)

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