39歳で現役復帰したバスケ元日本代表の覚悟 渡邉拓馬が「3×3」で東京五輪を目指す理由

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その後、進学した拓殖大学でも、関東大学1部リーグで4年連続で得点王を獲得。加えて、大学バスケ最高峰の舞台であるインカレでも、3年時に準優勝を果たすなど数々の輝かしい戦績を残した。

プロでも活躍できるという自信をつかんだ渡邉は、卒業後の2001年にトップリーグのトヨタ自動車アルバルク東京(現・アルバルク東京)に入団。スーパールーキーとしてすぐさま主力に定着すると、2001-02シーズンのリーグ初優勝に貢献し、自身も新人王のタイトルを手にした。

日本代表にも選ばれ、アジア選手権や東アジア競技大会などに出場。バスケットプレイヤーとして、つねに第一線を走り続けた。

だが、32歳を迎える2010年。突然、燃え尽きたような感覚に陥った。いわゆる「燃え尽き症候群」と呼ばれる状態だろう。トヨタ自動車アルバルク東京の時代に計6度の優勝を経験し、バスケを続けるにあたって、これ以上モチベーションが上がらなくなった。

ただ渡邉は、当時チームが低迷期だったこともあり、「ここで終わるのはちょっと違う」と、その責任感からすぐに引退という決断には至らなかった。

その後、2012-14シーズンには日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)に移籍し、2014-15シーズンからはアースフレンズ東京Zという現在Bリーグ2部(B2)のチームでプレー。そして古巣への復帰が決まった2015年、ここで骨を埋めることを決めた。

引退後は「現場とフロントのパイプ役」に

2015-16シーズンを最後にユニホームを脱いだ渡邉。セカンドキャリアとして選んだのは、やはりバスケだった。引退を決めるタイミングで、アルバルク東京の上層部からフロント入りを打診された。翌シーズンから始まるBリーグへの出場意欲もすでになかったという。

5日の試合でドリブルをする渡邉拓馬(筆者撮影)

「なんの迷いもありませんでしたね。言っていただいた瞬間、すぐに引き受けることを決断しました。

翌シーズンからBリーグが開幕することは知っていましたが、もうボールにも触りたくないくらいバスケをやり切っていたので。実際に開幕戦を観ても羨ましいという感情はなかったです(笑)」

それから“アルバルク東京GM補佐兼アカデミー統括”という肩書きで、セカンドキャリアをスタート。主に心がけていたのは、「現場とフロントのパイプ役になること」だと渡邉は話す。

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