絵は好きなように見ればいい
──本と同じタイトルの、冒頭にあるエッセーが25校以上の大学入試で出題されましたね。
皮肉な話だ。なぜそれだけ多く採用されたのか。どのような理由なのかよくわからない。月刊誌の編集部がその試験問題を解く場を僕に与えてくれて、編集者が予備校の正解に基づき採点したら、50点近くにしかならなかった。受験テクニックに沿えばそういう正解が出てくるのだろうが、自分の書いた文章の問いにその程度しか答えられない。逆に筆者側が正解と言ってもそれに限らないわけだ。
──既存の美術ジャンルを破壊する批評スタイルで知られます。
美術は日本で学習科目の中に入っているが、絵を教育するのは難しい。算数や社会といった教科なら問いがあり答えがある。公式や事件の起きた年号での正解、不正解で点数化ができる。絵はそれがない。でも、学校教育に従って絵を考えると、正しい絵の見方があるのではないかと思ってしまう。
──正しい見方はないと。
絵は好きなように見ればいい。何か気になる、もうちょっと見たいなと思わせる絵こそ、その人にとって意味がある。世間で有名だったり、偉い先生が褒めていたり、あるいは美術の教科書に大きく出ていたりするのとは別のことだ。自分が気になった絵をひたすら見る。それに徹すればいい。見方に正しいも間違いも、よい見方も悪い見方もない。
──世の中的には違います。
美術館では、至高の名作とか、この絵を見ないと始まらない、とかいった「売り文句」を打つ傾向が強くなっている。どこも独立法人化して、採算を合わせないといけないし、入場者数を増やさないといけないからだ。だから本来、価値づけができないものに、手引きで価値づけをする。そういう見方に左右されないほうが本当の絵の楽しみ方に近づける。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら