済美・中矢監督、被災者に伝えたかった思い 優勝候補の星稜を相手に2度の逆転劇で勝利

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星稜との2回戦。タイブレークに突入した13回の先頭打者だった政吉完哉はセンターのポジションから戻りながら、自分の打席のシミュレーションをしていた。2点差あることと、九番という打順を考えて、バントに備えていた。

そこで中矢監督がセーフティバントのサインを出し、一番打者の矢野功一郎の逆転サヨナラ満塁ホームランを呼び込んだ。

相手守備陣がバントシフトを敷くなかで完璧なバントが決まったのは、選手と監督の考えが重なったからだ。

「最悪でもワンアウト、二、三塁にする。政吉もセーフになって満塁にできればチャンスが広がる」と考えた中矢監督にとって、最高の結果が待っていた。

いつまでも甲子園にいたい

3回戦の相手は同じ四国の高知商業(高知)。馬力のある相手との試合を突破すれば、ベスト8が待っている。

「昨年は甲子園で1つでも勝てればと思っていました。3回戦で負けましたが、もう1つ勝ちたかった。今年も2つ勝ちました。2つ勝てば3つ勝ちたくなる。甲子園はそういうところです。勝ったら、また勝ちたくなる。いつまでも甲子園にいたい」(中矢監督)

優勝候補の一角に挙げられていた星稜を相手に、延長13回、2時間55分の激闘を展開し、2度の逆転劇を見せた済美。試合後、丁寧に記者の質問に答える中矢監督の疲労の色は隠せなかった。

筆者は愛媛のスポーツマガジン『E-dge』の編集長をつとめており、面識がある。私の顔を見て、中矢監督はこう言った。

「愛媛のみなさんに、何か伝わりましたでしょうかね?」

言葉にできない被災者への思いがその言葉に詰まっていた。

(文中一部敬称略)

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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