済美・中矢監督、被災者に伝えたかった思い 優勝候補の星稜を相手に2度の逆転劇で勝利
中矢監督が指揮をとることになったのは2016年7月。
翌年夏の愛媛大会で優勝を飾り、甲子園では2勝を挙げ、ベスト16進出を果たした。敗れはしたものの、盛岡大附属との満塁ホームランの応酬は強烈なインパクトを残した。
「私は2003年に済美のコーチになり、部長・コーチとして全国優勝1回、準優勝2回を経験させていただきました。しかし、1年間の対外試合禁止(いじめの発覚により2014年8月9日~2015年8月8日の間)という処分も受けました」(中矢監督)
指導方法を変えた中矢監督
中矢監督は監督就任にあたって、自らの指導方法を見つめ直した。
「これまで自分でやってきたことを一度否定してみようかと思いました。上甲監督の時代から『黙ってついてこい』という指導をしていましたが、選手主導の練習に少し変えました。もちろん、まだ高校生なのですべてを任せるわけにはいきませんが、我慢して見守るようにしました」(中矢監督)
上甲正典監督時代には猛練習で知られていたが、自主練習の時間を増やし、自分たちで考えさせるようにした。
「ただ、効率のいい合理的な練習だけでいいかというと、そうではないと思います。昔ながらの練習にも意味はある。そのバランスを重視しています。何が正解なのかはまだわかっていません。甲子園に出たからといって、正しいとは限りませんから」(中矢監督)
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