これでは経済分析のスペシャリストを育てるよりも、さまざまな政策分野に携わるゼネラリストを揃えることを優先しなければならない。しかも政権中枢との距離が近づいたために、白書は日本経済を中立的に論じるというよりも、政策が成功していることを裏付けるデータを集めるようになってしまった。しかしそれでは、「官庁エコノミスト」ならぬ「エコノミスト官僚」を養成することになってしまうのではないか。
経済白書を再び国民の手に
いや、別に筆者は内閣府を否定したいわけではない。2001年の中央省庁再編は、省庁のスリム化と内閣機能の強化を目的として実施された。トータルで言えば成功であろう。ただし、その結果誕生した国土交通省(建設省と運輸省)はうまく融合しているようだが、厚生労働省(厚生省と労働省)はやっぱりもう一度分ける方がいいんじゃないか、などと囁かれ始めている。自民党行革推進本部(甘利明本部長)は、9月上旬に省庁再々編の提言をとりまとめるとのことだ。
もしもそんな機会があるのなら、内閣府から経済企画庁を分離・独立させることも検討してもらいたい。エコノミストは政権に近過ぎてはいけない。むしろ「政府内野党」と呼ばれて、孤立をかこつくらいがちょうどいい。
経済白書の第1号は、1947年に当時の経済安定本部で都留重人教授(後に一橋大学学長)が執筆した。「家計も企業も政府も赤字」という率直な表現で、終戦直後の厳しい日本経済の姿を描いたことで知られている。本来は1回限りの単発文書として公表されたが、評判が良かったために「経済白書」として定例化することになる。
経済企画庁の内国調査課長として1993年、1994年白書を執筆した小峰隆夫氏によれば、この第1回白書は、経済の実態を国民に理解してもらいたいという熱意にあふれていた。それは当時の戦争体験に根差していたのだという(経済白書の生い立ちー経済白書70年 )。
むすびの中には、こんな文言が入っている。
われわれは従来まで、ともすれば、現実を正視する勇気に欠けていた。今は過去となった悪夢のような戦争のさなかでも、望まぬ現実には目を覆い、望む方向には事実を曲げようとする為政者の怯懦な態度は、はかり知れぬほど国民に災いした。
そう、日本経済は国民のものなのだ。白書に「忖度」が入るようであってはならない。経済白書を再び国民の手に、と申し上げたい。
(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が、週末の人気レースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
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