マルキオンネが自動車史に刻んだ偉大な功績 FCA中興の祖が逝去した影響は計り知れない

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スイスの検査認証会社SGS再建の成功が、フィアットの創業家であるアニェッリ・ファミリーに評価され、2004年にフィアットの経営に参画することになった。2009年には早くもFCAのCEOに任命され、魑魅魍魎がうごめくグループの中で異例の出世を成し遂げていた。付け加えるなら、彼は自動車への興味は持っていたものの、ビジネスとしてはそれまでいっさいかかわってこなかった。門外漢の彼がイタリア最大の自動車メーカーの最高責任者になるということに関して懐疑的な意見も多かったが、彼はそれを見事に覆してきた。

アニェッリ家の全面的な信頼を得る

彼がFCAで成功を収められたのにはいくつかの理由がある。1つはイタリアのアニェッリ・ファミリーの全面的な信頼を得たことである。長い歴史を持つフィアットはその創業家であるアニェッリ・ファミリーが株式の大多数を握り、牛耳って来た。

ジャンニ・アニェッリ

黄金時代を築き上げた故ジャンニ・アニェッリ(1921-2003)は“フィアットの中にイタリアという国がある”と揶揄されるほどの影響力をもっていたフィアットを縦横無尽に動かし、トリノ自動車文化の勢力を誇示した。そんなトリノ勢力は、ランチア、アルファロメオ、フェラーリ、マセラティといった主要ブランドを傘下に置いてきた。

ジャンニは後継者に恵まれなかったが、フェラーリとフィアットの再建を託したルカ・ディ・モンテゼーモロを寵愛し、マネジメントを託していた。しかし、ジャンニの死後、孫にあたるジョン・エルカーンがフィアット・グループの権力を握ると、自動車事業のみならず広域な事業戦略やファイナンス面に明るいマルキオンネを次第に重用するようになる。こういった背景でモンテゼーモロとマルキオンネの確執が生まれたのだ。

その対決の舞台はフェラーリのIPOの是非に関する決断の場面でクライマックスに達した。マルキオンネはアニェッリ家のニュージェネレーション=ジョン・エルカーンを巻き込む。そして、それまで株式公開もせず、アニェッリ家(正確に言えばアニェッリ家の持ち株会社エクソール)が、その大半の株式を保持する”秘められた組織”であるフェラーリをFCAから分離させ、一気に上場企業として透明化しようとした。

そのIPOで得た資金をFCAグループに投入し、VWグループなど大きな投資をコンスタントに行うライバルたちに追いつこうというのが筋書きであった。この分離(スピンオフ)やIPOによる資金捻出はまさにマルキオンネの十八番であった。

それに対して、モンテゼーモロはフェラーリの大量生産への舵取りは将来的に希少価値を最重要視するフェラーリ・ブランドの価値を下げてしまうし、独自の戦略をとり難くなるという点でIPOに反対の立場をとっていた。

その前年には、「中国市場で急激に販売数が増えることはフェラーリのブランド・ポリシーにそぐわない」としてモンテゼーモロは、膨大なオーダーがあるにもかかわらず生産量を絞ってしまうという判断を下し、ここでも両者の確執が生まれていた。

モンテゼーモロはフェラーリ在任期間に売上高を10倍、販売台数を3倍にしたという誰もが評価する実績を持っていた。看板のF1で少し結果が出ない状態は続いたものの、フェラーリの経営者として十分な手腕をふるっていたのだから、アニェッリ・ファミリーとしてもどちらを取るか、難しい判断となった。

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