実際、マルキオンネはそれらの事業戦略をほぼ彼ひとりで決めていたという。恐ろしくワンマンかつ、スーパーマンだったからだ。加えて言うならば、フィアットは傘下にマセラティ、アルファロメオ、ランチアなどを持ち、イタリアではVW(フォルクスワーゲン)グループのランボルギーニを除いて主たるすべてのブランドがフィアットの傘下だ。マルキオンネのリタイアと死去のニュースを受けて、もちろんFCAおよびフェラーリの株価は一気に下落した。
マルキオンネの仕事ぶりが大きく評価されてきたことは言うまでもない。資金不足から新規投資ができず深刻な経営危機に陥っていたフィアットの再建が、フィアットの経営に参画した彼に与えられた課題であった。
対してマルキオンネは、フィアットで今まで誰も手掛けたことがなかった攻めのファイナンス戦略で資金を調達していった。2005年当時、フィアットは北アメリカビッグスリーであるGM(ゼネラルモーターズ)と提携を結んでいた。フィアットが直面していたとんでもない経営危機に怖気づいたGMが提携解消へのアクションを取り始めるや、すかさずマルキオンネは動いた。そして多額の違約金をGMから獲得した。
さらに2009年にはリーマンショックを受けて深刻な経営危機に陥っていたクライスラーに間髪を入れず資本参加し、2014年には何とクライスラーを飲み込み、子会社化してしまう。ここでFCAが誕生したわけだ。かつて北アメリカでは安物クルマの代名詞とでもいうべきブランドであったフィアットが北アメリカビッグスリーを飲み込んでしまった。このマルキオンネの手腕には世界が驚いた。
「24時間眠らない男」
このセルジオ・マルキオンネとはいったいどんな人物だったのだろうか。ビジネスの現場に昼夜構わず没頭する姿を称して“24時間眠らない男”というニックネームを授かったし、フェラーリ599GTBを運転中に高速道路で大事故を起こしたにもかかわらず、本人は無傷ですぐさま仕事に向かったことから“不死身の男”とも称された。どんなオフィシャルな場であってもトレードマークのセーターとしわだらけのパンツをまとい、くしゃくしゃの髪で現れた。
マルキオンネは1952年中部イタリアのアブルッツォに生まれた。父親の仕事のためカナダへと移り住み、マルキオンネは両国籍を持つことになる。大学では哲学を学んだのを皮切りに法律を学び、公認会計士と税理士の資格を取った。国際会計事務所など、いくつかの会社でCEOとしてのキャリアを積み、緻密な戦略でM&Aを成功させ、ビジネスの世界でマルキオンネは頭角を現し始めた。
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