2014年9月10日、マラネッロではふたりの男が記者会見の場に現れた。FCAのCEOであるセルジオ・マルキオンネ、フェラーリ会長、FCAの取締役を務めるルカ・ディ・モンテゼーモロだ。
「フェラーリはFCAグループのウォール街における浮上に重要な役割を持つことになります。これはひとつの時代の終わりであり、1970年代から故エンツォ・フェラーリのそばで過ごした23年間は私にとって忘れられないものです。フェラーリという世界最高の会社の更なる成功を願っています」とモンテゼーモロは別れのあいさつをし、フェラーリ、FCAから静かに去っていった。ここにFCAとフェラーリというイタリア自動車業界の本流にマルキオンネ体制が確立したのだった。
フィアット・グループの経営を透明化
マルキオンネが躍進した2つめの要因は、ドメスティックなカラーが強く、経営の方向性が不透明であったフィアット・グループの経営を一気に透明化し、資金調達へ徹底した努力を行ったことである。IR活動を重視し、投資家に向けてFCAグループとしての成長計画をプレゼンし続けた。その一例として傘下ブランドのマセラティが挙げられる。
フェラーリ傘下に置かれモンテゼーモロによるマセラティ再建計画が始まったのは2000年あたりからだ。フェラーリの技術を導入し、エンジニアリングの強化を行い、品質管理も徹底させた。新生マセラティの切り札として開発されたのが、日本人デザイナー奥山清行の筆によるクアトロポルテ(5代目)だ。
高級化志向を極めたスタイリッシュさは市場から好意的に受け取られ、大型ラグジュアリー・スポーツサルーンという新しいマーケットを生み出した。そのブランド再生には成功したものの、大量生産体制を持たないマセラティにとって、年間8000台あまりが生産の限界であったし、大量生産による利益計画も未達に終わっていた。
そこで、マルキオンネは2015年という具体的な期限を定めたうえで、一挙に6倍を超える5万台の年間生産台数実現をコミットし、マセラティ史上初の大投資を決定した。そして、そのわずか後に、7万5000台へと計画を上方修正するのだから恐れ入る。
現場にも、そのコミットを実現すべく、開発のスピードアップを徹底し、通常5年間と設定するニューモデル開発スケジュールを3年に圧縮するという決定を下し、その実現のためにFCA全体で取り組んだ。この取り組みはまだ途上にはあるが、2017年ベースでは5万台を超えて見事、達成している。
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